
デジタル給与(給与デジタル払い)は、キャッシュレス決済の普及を踏まえた新たな給与システムとして注目されています。しかし「デジタル給与のメリットを知りたい」「自社に導入すべきか分からない」といった疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。
本記事では、デジタル給与に関する企業(支払い側)・従業員(受け取り側)両方の視点から見たメリット・デメリットなど、導入の判断に必要な情報を詳しく解説します。後半では企業の導入方法も紹介するので、ぜひ最後までご覧ください。
デジタル給与の導入で得られるメリットは、以下の5つが考えられます。
それぞれについて詳しく見ていきましょう。
企業はデジタル給与を導入すると、従業員への多様な給与の支払いに対応しやすくなります。
銀行振込の場合、手数料や送金にかかる日数などを背景に、月の定例日に給与を支払うのが一般的です。一方、デジタル給与は入金の手数料がない、あるいは安価な場合があり、リアルタイムに入金できれば、週払い・日払いなど多様な支払いに対応できます。
パートタイムや業務委託の従業員に対しても、個々のニーズに合わせた支払いがしやすくなります。
デジタル給与の導入により、新しい技術を積極的に取り入れる企業、また従業員に配慮した企業としてアピールすることが可能です。企業イメージが良くなり、従業員のワークエンゲージメント向上や、求職者数の増加が期待できます。
実際、デジタル給与は一定の需要が見込まれている制度です。2020年の公正取引委員会の報告書によると、コード決済を利用している消費者のうち、約4割がデジタル給与の利用を「検討する」と回答しています。
デジタル給与によってキャッシュレス決済の残高が常に一定以上ある状態になると、従業員は仕送りなど個人間での送金や公共料金・税金の支払いがしやすくなります。電子マネーによる資産運用ができるアプリも増えており、気軽に資産運用を始められる点もメリットです。
決済アプリには、日常の様々なサービスをアプリ上で利用できる「ミニアプリ」と呼ばれる機能を持つものがあります。例えば、eコマース(電子商取引)や食品の宅配が1つのアプリ内で完結するなど、利便性の高さが特徴です。
経済産業省の調査によると、キャッシュレス決済比率は年々右肩上がりで、2023年には過去最高の39.3%を記録しています。デジタル給与によりキャッシュレス決済がしやすくなると、多くの従業員に恩恵があるといえます。
デジタル給与の導入によって、従業員はデジタル給与と銀行振込を併用できるため、家計管理をしやすくなる点もメリットです。
例えば、昼食代など普段づかいする一定の金額分はデジタル給与で受け取り、それ以外の貯蓄したい金額を銀行振込で受け取ることで、管理が明確になります。決済アプリは利用履歴を簡単に確認できるので、毎月の支出管理に役立つこともポイントの1つです。
なお、デジタル給与を現金化したい場合には、少なくとも毎月1回はATMや口座へ手数料なしで出金できます。また、デジタル給与は毎月の給与だけでなくボーナスや退職金も対象とでき、収入全体の管理を柔軟化できる点も押さえておきましょう。
決済アプリによっては、経費精算申請から支払いの受け取りまでをアプリ内で行える、ビジネス向けのサービスを提供しています。そのため、社内で決済アプリの活用が広がると、経費立て替えをした従業員へアプリで簡単に送金できるなど、副次的メリットもあるのが特徴です。
紙の領収書や経費申請書を作成する手間がなくなり、経費精算にかかる労務担当者の負担が大きく軽減されます。
デジタル給与の導入によるデメリットは、以下の3つが考えられます。
それぞれについて詳しく見ていきましょう。
デジタル給与の導入により、銀行口座単体よりも支払い事務が複雑になるなど、特に導入初期には事務負担がかかります。
口座振込とデジタル給与が混在し、かつ従業員ごとにパターンが異なるため、支払い情報の登録にかかる負担は避けられません。また、給与システムの変更や社内ルールの整備なども必要になります。
事務負担の一時的な増加の影響を抑えるためには、業務を効率化できるシステムの導入や、担当者の体制強化が重要です。
デジタル給与で用いるアプリなどはスマホで手軽に扱えるため、銀行振込よりセキュリティリスクが生じる可能性があります。
例えば、スマホの紛失やパスワードの漏洩、ウイルスによる不正な出金などが想定されます。
もし不正に出金された場合、本人に過失がなければ全額補償され、過失があったら個別のケースごとの判断になる仕組みです。デジタル給与を導入する際は、企業側から従業員に対してセキュリティ上の注意点を周知する必要があります。
デジタル給与の口座に入れておける金額は、銀行振込と異なり、現時点では上限が100万円と決められています。預金が目的の銀行口座に対して、デジタル給与の口座はあくまで送金や決済を目的としたものだからです。
残高が上限を超えた場合、超えた分はあらかじめ登録した金融機関の口座へ自動送金されます。その際、送金手数料がかかることがあるため、口座内の金額の管理には注意が必要です。
デジタル給与の導入検討にあたって、押さえておくべき基礎知識は以下の3つです。
それぞれについて詳しく見ていきましょう。
もし資金移動業者(※)が破綻した場合、従業員の口座残高の損失が短期間で補償される仕組みがあります。
資金移動業者は保証機関と保証契約を結ぶ義務があり、その保証機関が残高を全額支出することになるためです。
ただし、資金保全の具体的な方法は業者ごとに異なるため、各業者の利用規約を確認する必要があります。また、将来的なデジタル給与の普及に伴い、細かい規約が変更となる可能性も視野に入れておきましょう。
※資金移動業者:PayPayや楽天Edyなど、銀行以外で送金サービスを担う業者のこと。(参考:金融庁「資金移動業者登録一覧」)
デジタル給与の導入は従業員・企業ともに強制されず、任意に決定できます。
従業員の給与支払い方法の変更は本人の同意が必要なため、企業は従業員全体の支払いを一律に変更できません。
また、従業員から企業に対してデジタル給与を導入するよう要望があっても、企業には応じる義務はありません。
デジタル給与を利用する場合でも、従業員は銀行口座や証券総合口座の登録を企業に申請する必要があります。資金移動業者の口座の上限額である100万円を超えたときの送金先として、金融機関の口座が必要なためです。
外国人労働者などが銀行口座を個人でつくれない場合、デジタル給与が導入されても支払いの対象にできない点に注意しましょう。
※こちらは2024年8月19日時点の情報です。内容は変更となる場合があります。
2023年4月、デジタル給与を可能とする労働基準法の改正省令が施行され、制度自体がスタートしました。
資金移動業者のうち、厚生労働省の審査を通過した業者が「指定資金移動業者」としてデジタル給与に対応する仕組みです。なお、口座から現金化できる業者が対象であり、ポイントや暗号資産(仮想通貨)での給与支払いはできません。
省令の施行後、4つの資金移動業者が厚生労働省に指定の申請を行っていましたが、2024年8月9日にPayPay株式会社が初めて厚生労働大臣からの指定を受領しました。現在はソフトバンクグループ各社において、2024年9月分の給与からのデジタル給与の導入に向けた対応が進められています。
審査中である3つの資金移動業者についても、今後、審査が終わり指定されたら、企業はその業者を選んでデジタル給与を導入できるようになります。審査の結果は、厚生労働省のページに公表される予定です。
デジタル給与の導入は、自社にとってのメリット・デメリットや注意点などを洗い出し、幅広い視点で判断する必要があります。
導入の判断にあたって、企業がやっておくべきことを2つ紹介します。
自社の従業員がどの程度デジタル給与の導入を希望しているかについて、事前にヒアリングすることをおすすめします。コストをかけて導入しても利用されないという事態を防ぐためには、現場の従業員の意見を聞く必要があるからです。
ヒアリングする内容の例は、以下の通りです。
社内アンケート調査や会議などを通じて、従業員のニーズを客観的に把握しましょう。
自社の人事給与システムをデジタル給与に対応させる場合、どのような準備が必要かあらかじめ確認しましょう。デジタル給与を導入する際、システムの仕様や支払いフローを大幅に見直す必要があるためです。
例えば、複数の資金移動業者を利用する場合、業者ごとにデータ連携を行えるよう仕様を変更します。また、電子マネーの口座番号の体系は銀行口座と異なるため、管理方法の見直しも検討します。
社内システムの担当者やベンダーとも相談して、システム変更の必要性や変更にかかる期間・費用などをチェックしましょう。なお、既存のシステムと連携してデジタル給与に対応できるサービスを利用すれば、コスト削減や構築期間の短縮につながります。
企業がデジタル給与を導入する手順は、以下の6つに分けられます。
現在(2024年8月19日時点)、デジタル給与に対応する資金移動業者はPayPay株式会社のみ指定されており、他は審査中の段階です。しかし、審査中の業者についてもあらかじめ導入方法を把握しておけば、審査終了後に導入をスムーズに進められます。
まずは自社に合った資金移動業者を選定する必要があります。企業はすべての業者をすぐに利用できるのではなく、業者ごとにシステム連携や手続きをして利用するためです。
選定基準の例として、以下が挙げられます。
利用のしやすさだけでなく、リスクを抑える視点も持って業者を選びましょう。
デジタル給与の導入にあたって、企業と従業員の間で労使協定を締結することが不可欠です。労使協定の相手方である労働組合、または労働者の過半数を代表する者と、導入の是非や詳細について協議します。
労使協定では、主に以下の項目について同意を得る必要があります。
事前の社内アンケート調査の結果を考慮しつつ、従業員のニーズに合った内容の協定を締結しましょう。
労使協定の締結とあわせて、就業規則の改正にも着手する必要があります。デジタル給与の導入は、就業規則への記載が必須とされる給与の項目に関わるためです。
規則の文言として、従業員が同意する場合にデジタル給与での支払いが可能となる旨を明記します。銀行振込との併用をはじめ、基本的な運用ルールも記載しましょう。
なお、通常の規則改正プロセスと同様に、労働者側からの意見書や、労働基準監督署への届け出が必要です。
自社が利用する指定資金移動業者それぞれに対応できるよう、自社の支払いシステムの仕様変更や新規導入を進めます。
給与計算までのプロセスは従来と変わりませんが、その後はデジタル給与と銀行振込に分けて対応できるシステムの構築が必要です。前述の通り、コスト削減のためには、既存のシステムと連携してデジタル給与を導入できるサービスの利用がおすすめです。
システムには、従業員ごとのデジタル給与の利用範囲や金額などを細かく設定する必要があります。導入の検討段階からベンダーなどと連携し、余裕を持って準備を進めましょう。
デジタル給与の導入の趣旨や注意点について、従業員へ周知する必要があります。制度の利用を促すためには、銀行振込との併用や決済アプリの利便性など、メリットを丁寧に伝えるのがポイントです。
また、不正出金が起きたときの対応やセキュリティ上の注意点に関して、入念に説明することも不可欠です。社内掲示板やメールによる通知だけでなく、説明会など双方向のやりとりにより周知を徹底しましょう。
デジタル給与を希望する従業員は、企業または指定資金移動業者から留意事項の説明を受けたうえで、同意書を提出する必要があります。
同意書の内容としては、同意の意思表示のほか、以下の情報が求められます。
企業が従業員と同意書のやりとりをする際、厚生労働省が公表しているひな形を活用するのがおすすめです。
デジタル給与の導入には、企業が多様な支払いへ対応しやすくなり、従業員が柔軟に家計管理できるようになるなど、幅広いメリットがあります。
一方、事務負担の短期的な増加やセキュリティ面のリスクなど、デメリットにも注意する必要があります。
導入の検討にあたっては、従業員のニーズやシステム変更のコストなどの実態把握が重要です。そのうえで、自社のメリット・デメリットを慎重に比較して導入を検討しましょう。
参考文献(順不同)
厚生労働省「資金移動業者の口座への賃金支払(賃金のデジタル払い)について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/zigyonushi/shienjigyou/03_00028.html
厚生労働省「リーフレット『賃金のデジタル払いが可能になります!』」(令和5年3月掲載)
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001065931.pdf
厚生労働省「資金移動業者の口座への賃金支払の概要とこれまでの経緯」
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001285137.pdf