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文化を、社会を支えるレンタルサービスの世界
vol.139

文化を、社会を支える
レンタルサービスの世界

モノを所有しなくても気軽に利用や体験ができるレンタルサービス。近年は定額制のサブスクリプションの普及で、ますます私たちの生活になくてはならないものになっています。今回はそんなレンタルサービスの世界を紐解いてみました。

布が高価だった江戸のレンタル事情

 モノが貴重だった江戸時代は、壊れたものは修理・修繕し、いらなくなったものは回収・再利用するリサイクルが活発で、ものを燃やした灰を回収する灰買いや、高価なろうそくから溶けたろうを買い取るろうそくの流れ買いなど、さまざまなビジネスが登場しました。
 古着を日常的に着こなし、家財道具をさほど持たなかった庶民には、損料屋、貸物屋も身近な存在でした。衣服や装身具、身の回りのものをレンタルできるお店で、掛け布団にあたる夜着を持てるほどゆとりがない人のために、布団も貸し出していたそうです。京都や大坂には、葬儀の衣装を専門に貸す色屋と呼ばれる貸衣装屋もありました。

日本の大衆文化を支えた貸本屋

 よく知られているように江戸時代の日本は、当時の世界では飛び抜けて識字率が高く、出版大国でもありました。高価な本は貸本で読むのが主流で、日本や中国の古典、草双紙、洒落本、滑稽本、艶本など、さまざまな本を大風呂敷に包んで町中を歩く貸本屋が繁盛したそうです。
 得意先を回って2、3冊ほど貸し出し、月末に貸し賃を回収する貸本屋は、一説には1人で160軒、170軒もの得意先を抱えていたといいます。貸し賃は江戸時代後期で新本が1巻24文、古本が16文が相場で、蕎麦1杯ほどの金額で古本を1冊借りることができました。
 1830年から44年の天保年間には、江戸に800軒もの貸本屋があり、庶民から大名や奥女中、遊女や芸者まで日常的に利用していました。

劇画ブームも牽引

 最盛期の昭和30年代(1955〜1964年)には全国で3万軒を数えた貸本屋。戦後はマンガや大衆小説、女性雑誌を中心にお客を集め、特に、貸本専門の貸本マンガは子どもたちを魅了しました。
 1960年代の劇画ブームも貸本マンガが発端で、リアルなテーマや写実的な描写が際立つ劇画は、子どもたちの読物だったマンガの読者を青年層にも広げるなど、戦後の大衆文化に大きな影響を与えました。貸本出身のマンガ家には、水木しげる、白土三平、さいとう・たかを、つげ義春らそうそうたる顔ぶれが並びます。
 貸本屋は娯楽の多様化や、週刊誌、文庫本などの台頭で斜陽を迎えますが、21世紀に入ると、大規模レンタルビデオ店と同じような経営方法で新刊のマンガ単行本や書籍を貸し出すレンタルコミック店が出現。一時期は新刊書の売れ行きに影響を与えると問題視されたものの、著作権法の改正も進み、現在はインターネットで借りたいマンガを選べば自宅に配送してもらえるレンタルサービスも登場しています。

映画をより日常のエンタメにした功労者

 最近は動画配信サービスの普及ですっかり足が遠のいてしまっているかもしれませんが、昭和、平成の人々の娯楽を支えたものとして、レンタルビデオに触れないわけにはいかないでしょう。1980年代初頭に登場したレンタルビデオ店は、見逃してしまった過去の映画を再上映やテレビ放映を待たずに見られること、しかも1本数万円と高額だったビデオソフトを安価で借りられるとあって爆発的に普及しました。
 ただし、黎明期はお店の規模も小さく、利用には入会金や年会費が必要で、レンタル代金も安価とはいえ1泊2日で1000円を超えることが珍しくなかったようです。広く利用されるようになったのは、全国的に店舗が増えた1980年代半ば以降、低価格化やレンタル可能なソフトの増加などがきっかけだったといいます。
 1980年代後半から社会的に広がった週休2日制と連動するように、レンタル期間を2泊3日や3泊4日に延ばしたり、深夜営業を始めたりして人々の暮らしにすっかり浸透し、大型書店の参入やCDレンタルとの並行営業など複合化、大規模化も進みました。旧作を低価格で長期間貸し出すというアイデアで、新作一辺倒だった利用者のニーズも広げたレンタルビデオ店は、映画館より安く手軽に映画体験をさせてくれる、映画をより日常的なエンターテインメントへと定着させたサービスだったのかもしれません。

ナンバープレートが原因で業者が廃業?

 使いたいときだけ利用できる利便性や経済的負担の少なさが魅力のレンタカー。最近は都市部を中心にカーシェアが浸透し、日常のさまざまな用途で活用する人が増加しています。
 そもそも日本で最初のレンタカー業は、1949年に米軍などから払い下げされた中古外国車の時間貸しから始まったとされていますが、一般に広く利用されるようになったのは、モータリゼーションが花開き、自動車メーカー系列のレンタカー会社が参入を始めた1960年代以降。保険の導入や、本人確認は運転免許証の提示のみという簡略な手続き、全国各地の店舗で乗り捨てられるといったサービスで利用者を集め、1960年代後半には非自動車メーカー系のレンタカー会社も発足して業界が広がりました。
 レンタカーといえばナンバープレートは「わ」か「れ」。登録種別を表す2つの平仮名が採用された理由は「ほかの区分で使われていない」「見分けがつきやすい」など諸説あるようです。
 古くはナンバープレートの色合いもレンタカー独自のものが採用されていて、1959年の導入当初は黒地に白文字でした。この色合いは葬式を想起する「葬式ナンバー」と嫌われ、業者が廃業に追いやられるほどだったとも……。やがて白地にオレンジ文字に改定され、現在のように一般自動車用と同じ白地に緑文字になったのは1961年のことでした。

定額制サブスクは社会課題の解決にも

 出版物や新聞などの定期購読として始まったサブスクリプションサービスは、2010年代以降、インターネットの普及によって飛躍的に成長し、動画、音楽、ゲーム、家電、家具、自動車など、デジタルコンテンツから非デジタル系の商品までサービス内容も多様化しています。最近は社会課題の解決にもつながりそうなサービスも登場しているようです。

保護者や保育施設の負担を軽減

 保護者が契約した業者から、保育園やこども園に紙おむつとおしりふきが直送されるサブスク。毎日おむつに名前を書いて持参しなければならなかった保護者の負担を減らし、おむつを管理する保育士の手間も軽減できることから、全国の保育園やこども園で急成長しているそう。


市場に出回らない魚をおいしく活用

 野菜や果物、パン、お菓子など食のサブスクもさまざまですが、おいしく食べられるのに見た目や加工方法などの理由で規格外として扱われてしまう「未利用魚」を活用し、持続可能な水産業の実現を目指すサブスクも。下ごしらえや味付けがされているので、気軽に食卓に旬の魚を並べられます。


故人の弔いもサブスクで

 「墓じまい」などお墓の在り方が大きく変わる中、骨つぼを兼ねた墓石をお寺に預け、引っ越しや代がわりで移動が必要になったら、各地で提携するお寺に墓石を移動できるお墓のサブスクも登場しています。お寺で供養はしてもらいたいけれど、墓地代や定期的な管理など金銭的、精神的な負担を抱えたくないというニーズに応える、新たな弔いの在り方かも?

多様化するニーズやライフスタイルに応えて、より便利になるレンタル・サブスクサービス。これからも時代に合った進化を遂げていきそうです。

参考文献(順不同)
石川英輔『江戸っ子は虫歯しらず? 江戸文化絵解き帳』(講談社)/エディキューブ編『彩色 江戸の暮らし事典』(双葉社)/山本博文監修『明治の金勘定』(洋泉社)/北嶋廣敏『図説大江戸おもしろ商売』(学研プラス)/竹内オサム、西原麻里編著『マンガ文化 55のキーワード』(ミネルヴァ書房)/永田大輔、近藤和都、溝尻真也、飯田豊『ビデオのメディア論』(青弓社) 等

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