トップページ > 特集 vol.82 地図の世界

地図の世界

私たちの暮らしや仕事を陰になり日向になって支えてくれているのが「地図」。文字が生まれる以前から人々に使われていたという地図は、日本で、世界でどんな変化を辿ってきたのでしょうか。今月の「Trace」は地図にまつわるあれこれを掘り下げていきたいと思います。

日本最古の地図は?

 記録に残っている日本最初の地図は、645年の大化の改新で導入されたといわれる班田収授法で、人々に田を分け与える大きさを測るために作成された「田図(でんず)」とされています。この田図は徴税のために必要不可欠な地籍図のルーツといえるものですが、実物は残っていません。
 現存する最古の地図は、東大寺正倉院に残されている「東大寺開田図」(751年)。東大寺の荘園の開発状況が麻布や紙に描かれたもので、のちの村地図に大きな影響を与えたほか、奈良時代の地方諸国の状況を知ることができる貴重な史料として重要文化財にもなっています。
 日本全国の地図(全図)でいえば、最古とされるのが奈良時代の僧侶、行基が作成したと伝えられる「行基図」です。本州から九州までの国々や島々などが描かれた縮尺200万分の1ほどの地図は、正確な測量に基づいてはいないものの、日本列島の形や諸国の位置関係などが大まかに表現され、平安時代から江戸時代初期まで、修正を加えながら使われたといいます。

「北が上」ばかりが地図ではない!

 私たちの感覚では、地図の上は「北」になるのが一般的ですが、古くは地図に上下の概念はなかったようです。先に紹介した行基図も、京都・仁和寺に保存されている現存する最古の行基式日本図を見ると、南方(九州)が上、東方が左側、西方が右側と今の地図とは逆向きに描かれています。また、日本で初めて実測(現地測量)で作成された伊能忠敬による日本全図(大日本沿海輿地全図)も、地名などの注記が街道や海岸線に沿って描かれていて、「北が上」とは意識されていなかったことがうかがえます。
 こうした地図表現が変わったのは明治時代のこと。フランス式の技術をもとに作成された「二万分一迅速測図」や「五千分一東京図」で北が上とされ、その後の地図にも反映されるようになったそう。ちなみに、北が上ではない地図は今でも作成されていて、1994年には富山県が南北を逆転させ、富山県沖の日本海を中心に対岸諸国の広がりを描いた「環日本海諸国図」(縮尺350万分の1)を刊行しました。ユーラシア大陸から日本を眺めるような構図の地図は、日本海とその周辺地域を新たな視点で見つめ直せるものとして、発売から20年以上経った今でもロングセラーとなっているようです。

地球を約1周した地図界の立役者

 日本の地図界の立役者といえば、みなさんご存じの伊能忠敬です。忠敬が全国の海岸線を約4万キロ、地球1周の長さに近い距離を歩き、日本で初めて正確な日本全図の作成に取り組んだのはよく知られた話ですが、彼がなぜ地図づくりを始めたのか、覚えているでしょうか。
 現在の千葉県九十九里町で生まれた忠敬は、17歳で佐原の大商家である伊能家の跡継ぎになると、本業の酒造業をはじめ次々と事業拡大に乗り出し、隠居する49歳までに莫大な財産を築いた一流の経営者でした。そんな忠敬は隠居後、幼い頃からの知的好奇心を満たすために江戸・深川に移り住み、幕府御用達の天文学者・高橋至時に弟子入り、天文学に打ち込みます。実は地図づくりを始めたきっかけも、「地球の大きさを知りたい」「正確な緯度1度の長さを知りたい」という好奇心からだったそう。当時は藩を渡り歩くには幕府の許可が必要だったため、地図をつくるという名目で、陸路で蝦夷地に向かったのです。
 北海道、東北での測量にかかる経費は自己負担だったものの、それをもとに作成された「日本東半分沿海地図」が幕府に認められたことから、忠敬の地図づくりは幕府が経費を負担する正式な事業となり、73歳で亡くなるまで10回にわたる測量に取り組みます。
 日本全図が完成するのは忠敬の死後から3年後の1821年のこと。幕府に献上された3枚構成の小図、8枚構成の中図、214枚構成の大図は「伊能図」と呼ばれ、1929年に陸軍で利用されたこともあるなど、江戸から昭和と時代を超えて使用されました。

“大正広重”と呼ばれた天才絵師

 伊能忠敬が科学的手法による地図作成のパイオニアなら、錦絵のようなカラフルな色彩と魚眼レンズを通したような大胆なデフォルメで、のちの観光地図(観光案内図)に大きな影響を与えたのが、“大正広重”と称された吉田初三郎です。
 1884年に生まれた初三郎は、友禅図案の職工として奉公に出たのち、洋画家のもとへ弟子入り。そこで「まだ誰もやっていない商業画を目指したらどうか」と勧められて着手したのが、観光向けの鳥瞰図の作成でした。
 初三郎の出世作となったのが、1913年に刊行された「京阪電車御案内」です。これは京阪電車に依頼されて作成した観光地図で、鉄道の路線と駅名を中心に、周囲の山々や観光スポットを鳥瞰で描いたもの。学習院普通科の修学旅行で関西を行啓中だった皇太子(のちの昭和天皇)が賞賛し、学友のために数部持ち帰りたいと語って初三郎を感激させたというエピソードもあるほどです。
 本来は見えないはずのハワイやサンフランシスコ、ウラジオストクや樺太などを海のかなたに描くなど、遊び心も忘れなかった初三郎の鳥瞰図は、大正、昭和初期の観光ブームも後押しして評判となり、生涯に描いた鳥瞰図は1600点以上になるとも。戦中は鳥瞰図が“スパイ的である”と軍部から検閲が入り不遇の時代を迎えますが、戦後は広島にアトリエを置き、外国人向けグラフ誌のために、数百名の被爆者の証言を得て広島の被爆前、直後の鳥瞰図を描いたことも。最晩年には北海道の各地域の鳥瞰図も精力的に描いていたといいます。

戦後活況となった地図の世界

 戦中は陸軍にほぼ独占されていた地図作成。国土防衛のため、地形図が全面的に販売停止になったこともありましたが、戦後、高度経済成長期に入ると地図の市場は拡大します。空中写真測量が本格化したことで地図の作成技術が向上し、陸軍の陸地測量部を前身とする国土地理院によって国土開発の基本となる2500分の1、5000分の1の大縮尺の「国土基本図」がつくられたことで、精密な地図表現ができるようになったことも拍車をかけました。
 もともと都市部で利用されていた都市地図も、経済発展で人口が急増した都市の地理を知るために不可欠な地図としてニーズが高まるなど、地図は多様化の時代を迎えます。戦後に発展した地図のいくつかをここでご紹介しましょう。

住宅地図

 都市地図よりも縮尺が大きく、各住宅が世帯主とともに細かく記された住宅地図。戦後は全国でさまざまな会社が発行していましたが、圧倒的なシェアを誇ったのがゼンリンです。もともと大分県別府市で観光案内用の小冊子を発行していたゼンリンは、冊子の付録だった市街地図が好評だったことから、屋号まで記されている江戸時代の古地図をヒントにして住宅地図の作成に着手。郵便局や水道局、学校などの業務にも活用されました。1980年には日本全国で年間30万人もの調査員を動員する人海戦術で、国土のほとんどをカバーする世界でも類を見ない住宅地図を完成させます。


道路地図

 交通網の案内に特化した地図の中でも、鉄道路線図は戦前から存在していましたが、1960年代にはモータリゼーションによって道路地図も出版ブームを迎えます。特に60年代後半には道路情報だけでなく、観光や行楽情報も詰め込んだドライブマップも普及しました。


山岳地図

 レジャーブームとなった1960年代には、登山、ハイキングに欠かせないものとして山岳地図も普及しました。現在もロングセラーを誇るのが1960年に創業した昭文社が1965年に刊行した『山と高原地図』。谷や尾根、等高線や登山道を掲載した地図は調査・執筆者に専門の登山家を起用し、実踏調査によって最新の情報を毎年新刷するほどで、今では全国約1500の山々を紹介し、登山者の必須アイテムとなっています。


イラストマップ

 名所旧跡からグルメスポットまで、さまざまな見所をポップな絵柄で紹介するイラストマップは今では見慣れたものですが、こうした表現が生まれたのも戦後のこと。1970年、当時の国鉄が「ディスカバー・ジャパン」という名前で、若い女性をターゲットに個人の国内旅行のキャンペーンを打ち出したことで、同時期に創刊された女性ファッション誌も旅特集を企画し、旅心を誘うオシャレでかわいいマップが見られるようになりました。地図専門の職人だけでなく、グラフィックデザイナーが地図を描くようになったのもこの頃からといわれています。

現実っぽいけど実在しない……?

 最近ではTV番組などの影響で、古い地名や地形が描かれた古地図を見られるサイトやアプリが登場し、古地図片手に街歩きを楽しむツアーも盛況なようですが、現実には“存在しない”街を描くという楽しみ方も広がっているとか。
 空想上の地図といえば、江戸時代中期の国学者、本居宣長も作成に夢中になった人物の一人。19歳の時に描かれた「端原氏城下絵図」は、宣長が憧れを抱いていた京都を参考にした空想地図で、御所を中心に上下には川が流れ、碁盤の目状に整然と道が並ぶ様が描かれています。かたや現代では、2013年に刊行された『みんなの空想地図』を覚えている方も多いのではないでしょうか。これは、7歳の頃から実在しない都市の地図を描いてきた空想地図作家の今和泉隆行が、市販の都市地図そっくりのフォーマットで描いた架空の都市の地図をまとめた書籍。こうした架空の都市地図を描く活動はネットを中心に活発で、現実の都市計画や、立ち消えとなった鉄道、道路が完成していたら……という仮定で地図を描く職人もいるのだそう。


多様化を迎え、古くて新しい楽しみ方も広がっている地図の世界。次ページでは世界の地図事情にも目を向けてみます。

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