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日本のフィットネスクラブ
vol.140

はじまりはスイミング!?
日本のフィットネスクラブ

全国で1万店舗を超えるフィットネスクラブ。そのルーツは1964年の東京オリンピック後から本格化した“スイミングクラブ”にありました。プールやトレーニングマシン、サウナなどを完備した大型施設からコンビニ感覚で立ち寄れる小規模施設まで、健康志向の高まりを受けてさまざまなフィットネスクラブが登場する今、改めてその歴史を辿ってみました。

五輪を契機にスイミングクラブが拡大

 日本におけるフィットネスクラブの歴史は、東京オリンピックが開催され、国民的にスポーツへの関心が高まった1960年代に始まります。オリンピック開催翌年の1965年、民間初のスイミングクラブが東京・代々木で誕生したのを皮切りに、全国各地にスイミングクラブが広がり、1969年には「世界に通用するアスリートを育成する」ことを目標にセントラルスポーツクラブ(現セントラルスポーツ)が設立されました。
 1970年代に入ると、ピープル(現コナミスポーツクラブ)や日本体育施設運営(現スポーツクラブNAS)など大手フィットネスクラブの1号店が相次いでオープン。これらも現在のような総合型フィットネスクラブではなく、スイミングクラブとしてのスタートでした。一方で、アメリカに影響されたジョギングやダンス、テニスなどのスポーツブームに乗って、1979年にはルネサンスがテニススクールから事業を始めました。

江戸の庶民が汗を流した施設とは?

 昭和より以前の江戸時代にも庶民たちが汗を流す施設がありました。それは剣術の町道場です。もともと武士のものだった剣術は、近世後期の江戸で一般庶民の身近な手習い事になり、経済的な力を持つようになった地方の農村でも剣術をたしなむ人が少なくなかったようです。商いや農作業に専念するべき人々が稽古に励んでいることを憂慮して、幕府が剣術の師範たちに武技を教えないようにと通達を出すほどの盛り上がりだったそうです。

エアロビブームで全国に普及

 「フィットネスクラブ」という名前を冠した施設が登場したのは1983年のこと。セントラルスポーツが東京・新橋にオープンしたウィルセントラルフィットネスクラブ新橋は、プールをはじめ、スタジオやトレーニングマシンなどを備えた総合型フィットネスクラブで、当時20代の女性を中心にブームを起こしていたエアロビクスのプログラムも取り入れていました。
 1980年代は従来のスイミングスクールから現在のようなフィットネスクラブへの転換が進み、都心から郊外にも総合型クラブが広がります。20代の女性だけでなく30代、40代の男女も健康維持や健康増進を目的にフィットネスクラブ通いを始め、1980年代後半には年間200施設以上の新設ラッシュが続いたといいます。

お茶の間を賑わせたユニーク健康機器

 フィットネスクラブ隆盛の一方で、1970年代から80年代にかけては自宅で身体を動かすことができるアイデアものの健康機器も登場しました。お茶の間を賑わせた機器の数々を覚えているという人も多いのでは?

マンガ広告もおなじみでした

 ドイツ生まれの「ブルワーカー」は、棒状の本体を押し込んだり、本体に取り付けられたチューブを引っ張ったりすることで全身を鍛えられるトレーニングマシン。自分のひ弱さに悩んでいた少年がブルワーカーのおかげでたくましくなり、女性にモテ始めるというストーリーのマンガ広告が、当時の青年向けマンガ誌には必ずといっていいほど掲載されていました。


健康機器の通販の走りに

 簡易ベッドのような機器の上に寝そべって、身体を伸ばしたり折り曲げたりしてウエストに負荷をかける「スタイリー」は、「ヘルスケア商品といえばテレビショッピング」の走りとなった健康機器のひとつ。「スタイリ〜スタイリ〜♪」という歌声とともに、通信販売用の電話番号を大写しにして健康効果をアピールするテレビCMも画期的でした。


第二の用途で使われていることも

 「ぶら下がり健康器」もテレビショッピングの影響で爆発的な人気を誇った健康機器です。両手を伸ばしてぶら下がることで腰や背骨を伸ばし、腰痛などの解消を目的としたものでしたが、ブームは長続きせず、洋服掛けとして使う家庭のほうが多かったとも……。


足踏みだけでランニング気分?

 室内でランニングができる健康機器として1976年に発売された「ルームランナー」は、体重計のような機器の上に立って足踏みすると歩数がカウントされ、走行距離が割り出されるものでした。室内ランニング器といっても、ベルトの上を走るトレッドミルとは似て非なるものでしたが、ジョギングブームの最中に大ヒット。20万台以上を販売したそうです。

総合型から専門型クラブへ

 1990年代はバブル崩壊のあおりを受けてフィットネスクラブは入会者を減らし、新規オープンも減少します。そんな中、起死回生の策として「入会金0円」のような割引キャンペーンが登場し、全国的に広がりました。「モーニング会員」「アクア会員」のように、早朝、夜、祝日など利用できる時間帯や施設を限定した会員制度は今でこそ当たり前ですが、こうした会員種別を設けたのはピープルが先駆けといわれています。同社は施設の規模に応じて月会費を見直したり、営業時間を延長させたりして会員数を伸ばし、その戦略に大手クラブも追随しました。
 2000年代はボクササイズのような格闘技系プログラムやヨガ、リラクゼーション系のプログラムなど、会員それぞれのニーズに対応するプログラムを積極的に取り入れるクラブが増加し、従来の総合型クラブとは異なるマシントレーニングや特定の運動プログラムに特化した、比較的小規模な専門型フィットネスクラブも登場しました。24時間年中無休でトレーニングができるエニタイムフィットネス、会員一人ひとりに合わせたオーダーメイドのパーソナルトレーニングと食事指導によって短期間で目標に導くRIZAP、スタッフも会員も女性だけの女性専用フィットネスであるカーブスなどはその代表といえるでしょう。

暗闇系フィットネスも登場

 「お遊びのつもりか!」などとゲキを飛ばし、負荷の高いエクササイズで短期間のダイエットを目指す「ビリーズブートキャンプ」のDVDが2005年に発売され、一躍社会現象となりました。2010年代に入るとフィットネスクラブにもユニークな流れが加わります。特に注目を集めたのが暗闇系のフィットネス。大音量の音楽が流れるクラブのようなスタジオの中で、バイクを漕いだりボクササイズやトランポリンに挑戦したりするもので、非日常を体感できるだけでなく、周りの目を気にせずエクササイズに集中できるというメリットもあり、根強い人気を誇っています。

フィットネスにもAIの波が

 コロナ禍で打撃を受けたフィットネスクラブですが、最近は「コンビニフィットネス」と呼ばれる利便性の高いフィットネスクラブも拡大中です。低料金で24時間利用できるchocoZAPは、全国で急成長を続けている無人店舗型のコンビニフィットネス。トレーニングマシンのほかにもセルフ式のエステマシンや脱毛マシンを導入し、一部店舗にはカラオケ専用ルームも用意するなど、これまで運動とは縁のなかった層を積極的に取り込み、最近はホテル内にも新店舗を出店して話題を集めました。
 マンションの一室で行うようなパーソナルトレーニングのように、フィットネスクラブのあり方も多様化する中で、人工知能(AI)を活用したサービスを取り入れたフィットネスクラブも登場しています。利用者の体型や体力に合わせてAIを搭載したマシンが最適な位置や負荷を自動で調整してくれるもので、専属トレーナーがいなかったり、専門知識がなかったりする人でも効果的にトレーニングができるほか、トレーナーやスタッフの人手不足の解消にもつながると期待されています。

環境や利用者のニーズに応じて柔軟に進化してきたフィットネスクラブ、これからも新たな裾野を広げてくれそうですね。

参考文献(順不同)
谷釜尋徳『スポーツの日本史 遊戯・芸能・武術』(吉川弘文館)、クラブビジネスジャパン(ホームページ)、日本経済新聞(同)、フィットネスクラブ各社ホームページ 等

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