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エンタメ化する水泳
vol.110

速さだけじゃないおもしろさ!
エンタメ化する水泳

東京オリンピック2020の盛り上がりが記憶に新しい水泳。新種目の混合400メートルメドレーリレーや海を泳ぐマラソンスイミングなど、「速さを競う」だけでないところが注目されています。2019年には国際水泳リーグが発足し、翌年には日本チームも参戦。ここ数年、新たにエンタメ要素が加わって盛り上がりを見せる水泳競技のルーツやトリビアに迫りました。

水泳から競泳に。スポーツ競技としてのルーツとは?

 海や川を泳いで移動する水泳の始まりは、人類の歴史とほぼ同じといわれています。古代文明の壁画に水泳と思しき絵が描かれているのがその証拠です。さらに古代ギリシャでは、水泳が行われていた記録も残っています。
 そんな水泳がスポーツとして発展するのは19世紀になってから。イギリスの公衆浴場に水泳指導者が登場し、1837年にイギリスで「National Swimming Society」が組織され、賞金や賞品をかけた競技会が開催されたのが競泳の始まりです。
 その後、1860年代にエリートを会員とするスイミングクラブが結成。レースに対して、お金のためではなく名誉と喜びのために泳ぐ規則が制定されました。1896年になると第1回アテネオリンピックで競泳を実施。現在も競泳でアマチュアリズムが重視されているのは、競技の始まりに関わっていたのです。

オリンピックの競泳は海や川で行われていた!?

 1896年の第1回アテネオリンピックから採用された競泳ですが、第1回から第2回パリ大会、第3回セントルイス大会までは、プールではなく海や湖など野外の水域であるオープンウォーターで実施されていました。
 実は、競技の始まりとなった1837年のイギリス・ロンドンのハイドパーク内で行われた大会も、サーペンタイン・レイクという人工池での開催。競泳といえばオープンウォーターというのが当時の主流だったのです。当然ながら自然環境での競泳は風や波の影響がありますから、当時の競泳はいまよりも過酷な環境で実施されていたといえます。

原型はすべて「平泳ぎ」!? それぞれの泳法が生まれた背景

 現在の競泳は、平泳ぎ、背泳ぎ、クロール(自由形)、バタフライの4泳法でタイムが競われますが、実は第1回アテネオリンピックでは、競泳は自由形しか種目がなく、それも平泳ぎのようなものでした。それぞれの泳法のルーツに迫ると、すべてが平泳ぎから派生していたのです。

< 平泳ぎ >

競泳に必要な技術としての泳法を見ると、まず誕生したのが平泳ぎ。足よりも手の工夫が先で、両手で同時に水をかく泳法が考えられました。その後、水をそのまま後ろに強く押す足の使い方となり、さらに左右の手で交互に水をかいて左右の足でバタバタと水を打つ「犬かき」に発展。そして両足を「蛙股(かえるまた)」にする方法が考えられたことで推進力が格段に上がります。それに両手で左右に水をかき分ける泳ぎが組み合わさり、現在の平泳ぎが発明されました。

< 背泳ぎ >

オリンピック第2回パリ大会では「背泳ぎ」が種目として登場しています。背泳ぎは、もともと平泳ぎのカエル足のような動作で水を蹴って、同時に両手をともに動かして水をかいて泳ぐエレメンタリー・バックストロークが先に出現。その後、クロールが登場してから、現在の仰向けクロールの背泳ぎが誕生しました。

< クロール >

クロールもオリンピック第2回パリ大会で登場しました。当時は手のひとかきに足一打という泳ぎ方でしたが、アメリカで現在の6ビートクロールに発展しました。6ビートクロールとは、両手を交互に1回水をかく間に足で左右3回ずつ水を打つもので、自由形の競泳で用いられています。体のバランスを取ったり、泳ぎのリズムを整えたりするために4ビートや2ビートが使われることもあり、実際、中・長距離では2ビート泳法が用いられています。

< バタフライ >

1933年にアメリカの水泳選手ヘンリー・メイヤーズが平泳ぎで使う両手を水上で前に返して泳ぐバタフライ式平泳ぎを実践しました。その後、1936年に平泳ぎの泳法の1つとして認定され、1953年に平泳ぎから正式に独立。オリンピックでは1956年メルボルン大会で独立種目となりました。このとき、選手の1人がひざのケガで平泳ぎの足かきができなくなったことからドルフィンキックが登場。現在のようなスタイルになっています。

なぜ日本人は平泳ぎに強い?

 1936年ベルリンオリンピック金メダルの前畑秀子、1992年バルセロナオリンピック金メダルの岩崎恭子、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックで2冠に輝いた北島康介。競泳において日本人が世界に誇れるトップアスリートを輩出しているのが平泳ぎです。なぜ日本人はほかの種目に比べて平泳ぎに強いのでしょうか?
 平泳ぎは、ほかの種目よりも水の抵抗力がかかってきます。つまり自由形、背泳ぎ、バタフライは体型に恵まれていることも競技の勝敗に強く影響しますが、それに比べて平泳ぎは水の抵抗力をかわす技術で勝負できる種目といえます。特に北島康介はストローク数が少なく、ストリームラインと呼ばれる流線型の姿勢を保つのが得意。平泳ぎの技術が高く、美しい泳ぎで世界のトップに立っていました。

潜水泳法のルール改正の陰に日本人アリ!?

 競泳は泳法のルール改正がたびたびなされるスポーツの1つ。特に潜水泳法についてのルール改正には日本人選手が関わっています。その1人が古川勝。1956年メルボルンオリンピックの200メートル平泳ぎ決勝に進み、他の選手が20〜25メートルで浮かび上がってくるのに対し、古川選手の頭が見えたのは40メートル過ぎ。水面の抵抗を極力減らした泳法は他の追随を許さず、2秒以上の大差をつけてオリンピック新記録を樹立。しかし、直後に平泳ぎの「潜水泳法禁止」となり、飛び込みとターン以外は長い距離を潜ることができなくなってしまいました。
 もう1人、潜水泳法のルールに関わった日本人が鈴木大地です。1988年ソウルオリンピックで100メートル背泳ぎに出場し、スタートから50メートルプールの半分以上も潜るバサロ泳法を武器に金メダルを獲得。潜水キックの回数は、実に27回だったそうです。しかし、このオリンピックの直後にバサロ泳法は禁止となり、スタート、ターンともに潜水は15メートルまでに規制されました。潜水泳法のルール改正の裏には、強すぎる日本人2人の存在があったのです。

競泳水着の進化が止まらない!?

 コンマ1秒を競う競泳において、水着は選手が直接身につける唯一のもの。開発競争が激しく、進化には目を見張るものがあります。2000年代には、「カワセミの羽」「サメ肌」を参考にした水着が開発されましたが、何といっても衝撃だったのは、2008年の北京オリンピックで登場し、世界新記録を続出させたレーザーレーサーです。
 ナイロン製パネルをレーザー圧着することでつなぎ目の凹凸を減らし、体の締め付けも強くすることで水の抵抗を抑えた“高速水着”は数々の世界記録に貢献しましたが、2009年には水着ルールが改正され、織物製の素材に限られることになりました。2021年の東京オリンピックでは、ミズノやアシックスが軽量化を図ったり、アリーナが股関節の着圧を軽減して動かしやすさを追求したりするなど、選手の意見も取り入れながら現在も進化が図られています。

国際水泳リーグがスタート、水泳のエンタメ化が実現

 花形競技でありながら、マネタイズの面ではバスケットボールや野球、サッカーなどの後塵を拝していた水泳ですが、2019年にはウクライナの大富豪コンスタンティン・グリゴリシンが発起人となって商業的なスポーツリーグ、国際水泳リーグ(ISL)が設立されました。
 ISLはチームによる団体戦でレースが開催され、レース結果やチーム成績に応じた報酬が選手に支払われます。2019年シーズンはアメリカ4チーム、ヨーロッパ4チームによる合計8チームで競われ、2020年に日本とカナダのチームが追加されました。日本チームは、北島康介率いる「東京フロッグキングス」が参戦。ドラフト制度が導入されるなど、ほかのスポーツリーグ同様にエンターテインメント化が図られています。残念ながら、2022年6月から予定していたシーズンは2023年に延期されました。それでも、新しい水泳界の動きから目が離せません。

スポーツ競技として発展し、エンタメ化する流れも広がりつつある水泳競技。速さを競う競泳とチームでの戦略性が見どころのISLによって、選手個人や会場の雰囲気づくりにも注目が集まっていくことになるでしょう。より身近なエンタメ競技となることで、さらなる楽しさが生まれることに期待です。

参考文献(順不同)
高木英樹、真田久「英国における水球(Water Polo)競技の始まりとルールの変遷に関する研究」『筑波大学体育科学系紀要 28巻』/国際オリンピック委員会(ホームページ)/朝日新聞(同)/読売新聞(同)/スポーツ報知(同)/日刊スポーツ(同) 等

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