
9月20日は「バスの日」。日本で初めてバス事業が始まったとされる日で、来年2023(令和5)年には120周年を迎えます。観光バスや貸切バスなど、さまざまな事業形態がありますが、今回は私たちの生活に一番身近な路線バスにフォーカスして、その始まりから現在までを追ってみました。
「バスの日」が9月20日になったのは、1903(明治36)年の同日、京都市の二井商会が堀川中立売―七条駅・祇園間で乗合自動車の定期運行を始めたことに由来します。実際に定期運行が開始されたのは同年11月21日ですが、本来は9月20日が予定日で試運転が行われたため、1987(昭和62)年、日本バス協会によって日本のバス事業の始まりの日に定められました。
1903年はほかにも“バスの萌芽”が見られた年。春から大阪で始まった内国勧業博覧会の旅客輸送のために梅田―天王寺間で臨時バス路線が運行され、これが日本で初めての路線バスとされています。 また、1905(明治38)年2月には広島の横川―可部間で12人乗りのバスの運行が始まったものの、馬車を流用した車両の度重なる故障や、乗合馬車の事業者からの猛反対に遭い、秋には営業を終了してしまったそうです。
当時は馬車や人力車など既存の事業者からの妨害や道路事情の悪さ、車両の耐久性の低さにメンテナンスの不備などもあり、現在のように生活の足として頼りになる交通機関ではなかったようです。しかし、数人が搭乗できる自動車が1台あれば参入できる障壁の低さから、個人事業者による路線バスが次々と登場しました。
大正時代には自動車の信頼性も高まり、全国的にバス事業が拡大しました。特に東京では1923(大正12)年の関東大震災で市電が壊滅的な被害を受けると、市民の足を確保するためにフォードのトラック用シャーシを改造した11人乗りのバス、通称「円太郎バス」が導入され、定期運行が定着しました。
愛嬌のあるバスの名前は、落語家の四代目橘家圓太郎がルーツ。圓太郎が乗合馬車を走らせる馭者のモノマネを持ちネタにしていたことから、市内を走る馬車が「円太郎馬車」と呼ばれ、それがバスにも引き継がれたそうです。ちなみにこの円太郎バス、現存する最古の1台が「乗合自動車が都市公共交通手段として日本各地において活躍していく端緒となった時期の稀有な伝存車輌であり、交通史上、社会史上に貴重である」と評価され、2020(令和2)年に自動車として初めて国の重要文化財に指定されました。
昭和時代に入っても個人事業者の参入や、鉄道事業者によるバス路線の開拓が続いていましたが、自動車交通事業法の施行(1933〈昭和8〉年)によって“1路線1事業者”の原則がつくられ、事業者同士の統合が進みます。その後も戦時統合で事業者の規模は大きくなりますが、一方で燃料事情の悪化から、戦中から戦後しばらくは燃料の確保が最重要課題だったようです。
戦後は過剰な統合が見直され、新たな事業者が続々と参入しました。昭和30年代に入ると大手私鉄による地方のバス事業者の系列化が進み、地方都市の駅に行けば必ずバスを利用できるほど利便性が向上。現在のバスにつながるさまざまな仕組みも登場します。
かつて路線バスには運転手のほかに車掌が搭乗し、運賃の徴収をはじめ、ドアの開閉や車両がバックする際の誘導も行っていました。もともと車掌は少年が務めていましたが、1920年代には女性車掌が主流に。着物が当たり前の時代にモダンな洋服の制服を採用していたこともあり、“バスガール”は女の子の憧れの職業の一つでした。車両の進化や人件費の削減などからワンマンカーが初めて登場したのは1951(昭和26)年のこと。大阪市交通局が今里―あべの橋間を試験運行し、「車掌を乗せなければならない」という運輸規則も変更されたことから、ほかの事業者が追随。1980年代にはほとんどの路線バスがワンマンカーに移行しました。
新幹線やLCC(格安航空会社)が浸透した今でも、安価に移動できるため根強い人気を誇る交通手段は、日本初の高速道路である名神高速道路の全線開通(1965〈昭和40〉年7月)の前後から活躍していたそうです。日本初の高速バスとされているのが、1957(昭和32)年に開通した福島県の白棚高速線。白河と棚倉をつなぐ約24kmの路線は、旧国鉄が本格的な車社会の到来に備え、鉄道の跡地をバス専用の実験路線に整備したものでした。
マイカーの台頭による都市部の渋滞の深刻化や、地方の過疎化などの影響で、1970年代になると路線バスの利用者が減少。事業者の再編も進みました。1980(昭和55)年には、東京都武蔵村山市が、市内の交通空白地域の解消を目的に、大型の路線バスでは対応できない地域をカバーする市内循環バスの運行をスタート。1995(平成7)年には東京都武蔵野市が「ムーバス」の運行を始め、コミュニティバスが全国的に広がるきっかけとなります。
2002(平成14)年の改正道路運送法の施行で乗合バス(路線バス)事業の規制が大幅に緩和されると、貸切バス会社やタクシー会社、トラック運送会社など他業種が次々と路線バス事業に参入しました。また、ディーゼル車規制条例やバリアフリー法によって、ディーゼルエンジンと電気モーターで駆動するハイブリッドバスや、軽油の代わりに圧縮したCNG(天然ガス)でエンジンを動かすCNGバスなど環境負荷の少ない新たなバスが活躍し始めました。
ひと昔前の路線バスといえば、ステップを数段上ってフロアに上がるものでしたが、1990年代後半になると、ステップを上る必要のないノンステップバスの導入が大都市を中心に拡大。足腰の弱い高齢者だけでなく、車椅子利用者もスロープを用いれば比較的簡単に乗り降りができるようになりました。もう一つ、乗客の乗り降りをアシストしているのが「ニーリング」と呼ばれる機能です。エアサスペンションを利用してバスの車体を傾け、バスのフロアと歩道の高さを同程度にできるもので、公共性が高い路線バスならではの配慮といえます。
バス事業者にとって貴重な広告収入になっているのがラッピングバス。バスのボディ全体を使って企業広告を掲出するもので、2000(平成12)年に石原慎太郎元都知事が東京都交通局の増収策の一環として規制緩和を行い、導入したことから普及が始まりました。それまでもペンキを使ってボディに塗装したり、ボディの側面に設置したボードに広告を掲載したりすることはありましたが、車両専用の再剥離フィルムの登場で、時間とコストをかけずに自由度の高い大胆なデザインが可能になり、まさに“走る広告塔”となったのです。
全国津々浦々で運用されている路線バスですが、最長の路線をご存知でしょうか。現在、日本一長い路線バスとされているのが、奈良交通の八木新宮バスの新宮特急線です。奈良県橿原市と和歌山県新宮市をつなぐ路線は片道169.8kmで、高速道路を使わない路線としては日本一。バス停は168カ所、始発から終点までの所要時間は6時間半に上ります。
みなさんが利用している路線バスは、前部のドアと後部(中央部)のドアのどちらから乗ることが多いですか。全国的に多いのは後部のドアから整理券を受け取って乗車し、前部のドアから降りる際に相当の運賃を支払う運賃後払い方式で、特に関西地方に多く見られるといいます。一方、前部のドアから乗車して運賃を支払い後部のドアから降りる運賃前払い方式は関東地方に多いとされていますが、運行距離の長短や運賃が均一であるかないかも関係するため、一概に地域で区切ることはできないようです。
路線によっては通勤通学の時間帯や悪天候時に、身動きが取れないほどの満員状態になる路線バス。一般的な自動車や高速バス、航空機や船舶の場合は定員以上になると処罰の対象となりますが、実は路線バスには「●人以上は定員オーバー」という厳密なルールはないといいます。というのも、路線バスの定員は、「それ以上乗客が乗っては危険」という意味の「保安定員」ではなく、固定の座席数と吊り革数から算出される「サービス定員」や「旅客定員」と呼ばれるものだから。鉄道車両と同様に、定員を超えても乗客の安全を確保できれば罰則を受けることはないのだそうです。
新車だと1台数千万円する路線バスの車両。一般的に路線バスは15年前後使用されると、廃車になるか、中古車として大都市から地方に譲渡されたり、アジアを中心に海外で第二の人生を送ることも多いといいます。中古のバスは大型二種免許があれば個人で所有し、公道を走らせることもできます。一般的に中古のバスを購入する場合、もともと使われていたバス事業者の塗装を変更することが条件だったり、遠隔地であればそのままの塗装でも構わなかったりと対応は分かれるそうで、バスマニアの中にはレアバスの保存目的で購入する人もいるようです。
バス車両は人の輸送だけではなく、さまざまな用途にも利用されているもの。献血バス(移動採血車)やレントゲンなどの検診車両はおなじみですが、最近は全国的なサウナ人気を受けて、引退した路線バスの車両を改造し、本格的なサウナ体験ができる移動型サウナバス「サバス」も登場。降車ボタンを押すと熱したサウナストーンに水をかけて蒸気を発生させられるなど、バスならではの楽しみ方ができるそうです。
運転手の高齢化や燃料費の高騰、さらに新型コロナウイルスによるテレワークの普及などが影響し、路線バスが苦境に陥る中、さまざまな施策が全国で進められています。路線バスで乗客と貨物を一緒に運ぶ貨客混載バスもその一つ。2015(平成27)年、岩手県北バスとヤマト運輸が始めた乗客と宅配便の荷物を一緒に輸送する「ヒトものバス」に代表される試みが各地で行われているほか、埼玉県川越市のイーグルバスのように、複数のバス路線の中心部に“ハブ停留所”を設置し、利用が少ない路線はハブ停留所で乗り継ぐなどして効率的な運行を目指す取り組みもあるんです。電気自動車(EV)を導入して燃料費の高騰に対応する動きも生まれるなど、私たちの暮らしを支える大切なインフラとして、試行錯誤が続いています。
参考文献(順不同)
鈴木文彦『日本のバス 100余年のあゆみとこれから』(成美堂出版)/広田民郎『バスのすべて クルマで人を運ぶ世界』(グランプリ出版)/同『ツウになる! バスの教本』(秀和システム)/谷川一巳『バスを良く知る基礎知識』(イカロス出版)/謎解きゼミナール編『バスの面白すぎる雑学話』(河出書房新社)/風来堂編『路線バスの謎 思わず人に話したくなる「迷・珍雑学」大全』(イースト・プレス)/中川浩一『バスの文化史』(筑摩書房) 等