東海道新幹線開業50周年に続き、2015年3月14日には待望の北陸新幹線が開業します。「夢の超特急」として日本各地に路線を拡大してきた新幹線は、日本人の生活をどのように変えてきたのでしょう? 主力新幹線が与えた影響とともに、振り返ってみました!

新幹線は、ビジネスや観光、お盆やお正月の帰省の足として、欠かすことのできない交通手段のひとつ。誕生から50余年のあいだに、日本経済や日本人のライフスタイルにまで大きな影響を与えてきました。
そんな新幹線のルーツは、なんと明治時代。1872(明治5)年に日本初の鉄道が新橋〜横浜間で開業して以降、高速走行が可能な新しい幹線鉄道の計画が立ち上がっては廃案になっていたのです。新幹線の誕生が初めて現実味を帯びたのが、1940年に議会で承認された新幹線輸送計画、通称「弾丸列車計画」です。
これは最高時速200kmの鉄道で、東京〜大阪間を約4時間、東京〜下関間を約9時間で結ぶという計画で、翌1941年にはレールの敷設やトンネル掘削の工事が始まります。しかし、太平洋戦争の戦局悪化で工事は中断。もし「弾丸列車」が完成すれば、海底トンネルを建設し、東京から中国大陸までを結ぶという夢のような話もあったのだそう!
東京オリンピック開催を9日後に控えた1964年10月1日、東京〜新大阪間を結ぶ夢の超特急・東海道新幹線が開業します。東海道新幹線の工事が開始されたのは、開業からさかのぼること5年半前の1959年4月。これほど短期間で工事を進められたのは、弾丸列車計画で確保されていた用地を流用できたからなんだそう。
……と、ここまで書くと新幹線の建設は順調に進んできたようにも見えますが、開業前は「ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に次ぐ無用の長物」という声もあったのだとか。戦後の復興に伴って増大した東海道本線の需要に対応するため、高速走行と大量輸送ができる新幹線計画は、昭和30年代初頭に立ち上がっていました。
しかし、世界的に時速200km以上で営業運転を行う高速鉄道の例がなく、技術的な問題や、国家予算の1割にも相当する莫大な建築費用がかかること。さらに、当時は飛行機や高速道路の拡充が予見されていたことなどから、新幹線建設に懐疑的だったり、鉄道そのものを「時代遅れ」と捉える人が少なくなかったようです。
そんな新幹線の実現に向けてキーマンとなったのが、「新幹線の生みの親」といわれる第4代国鉄総裁の十河信二。1957年5月、時速250km運転の可能性がプレゼンされた国鉄の講演会が社会的に大きな注目を集め、これをチャンスとみた十河は、国鉄内部の意見を取りまとめ、東海道新幹線の実現のために政治へ働きかけました。
その後、時速200kmを超えるスピードで安定して走行できる車両の開発・検証が徹底的に繰り返され、初代新幹線「0系」が誕生。運行開始時、東京〜大阪間の所要時間は4時間。特急列車(昼間)の約6時間30分から大幅に短縮され、ビジネス利用で節約された時間を当時の賃金で試算した時間短縮の効果は、年間2500億円にも上ったといわれています。
東海道新幹線は1965年に乗車人員1億人を達成。その後の大阪万博が追い風となり、1970年8月には1日の平均乗客数が36万人に上り、この記録は1993年まで破られることはありませんでした。そして東海道新幹線開業から11年後の1975年、新大阪〜博多間を結ぶ山陽新幹線が全線開業し(部分開業は1972年)、西日本を結ぶ大動脈が誕生します!
山陽新幹線には初代新幹線の0系をはじめ、さまざまな車両が投入されてきました。
上のなかでも、国鉄民営化後にJR西日本が独自開発した500系は、新幹線初の時速300kmを達成しただけでなく、新幹線の概念を変えた車両として、歴史に名を残すことになります。
航空機の機首を連想させる従来の新幹線と異なり、500系は鳥のくちばしのような超ロングノーズの先頭車両が特徴ですが、実はこれ、路線の約半分がトンネルになっている山陽新幹線の騒音対策を突き詰めた結果生まれたものなんです。
高速走行する新幹線がトンネルに入ると、トンネル内の空気が圧縮されることで、反対側の出口から圧縮された空気が爆音とともに拡散する「トンネルドン」と呼ばれる現象が起こります。この現象を低減させ、なおかつ時速300kmで安全に営業運転を行うことをめざし、500系は開発されたのです。
ちなみに、超ロングノーズの先頭車両は、カワセミのくちばしの形状を参考にデザインされたのだそう。500系は、「隣接する2停車駅間(広島~小倉間)での平均列車速度261.8km」、そして「始発駅から終着駅まで(新大阪~博多間)の表定速度242.5km」というギネス記録を打ち立て、次世代の700系新幹線が登場したいまも活躍を続けています。
長年にわたって技術を積み重ね、世界に誇る安全神話を築き上げた新幹線。1982年に開業した東北新幹線・上越新幹線の建設では、雪への対応が課題となりました。東北・上越それぞれで、開業時から長きにわたり活躍した200系新幹線。見た目は「緑色の0系」といった感じですが、実はパッと見ではわからない、さまざまな耐雪・耐寒対策が施されているんです。
雪対策は、車体だけでなく線路にも施されています。豪雪地帯を走る上越新幹線では、降雪を自動検知してスプリンクラーで線路上の雪を溶かす「散水消雪装置」、積雪量が比較的少ない東北新幹線では、線路の高さをかさ上げし、積もった雪を線路脇のスペースに貯める「貯雪方式」が導入されているんです。
雪問題を乗り越えた東北・上越新幹線。首都圏に比較的近い沿線にはベッドタウンが広がり、通勤・通学圏も拡大しました。大量の乗客を運ぶために、1994年にはすべての車両が2階建てのE1系がデビュー。この車両には、乗車定員を増やすための工夫が随所に施されており、例えば、普通車自由席として使用される車両の2階席は「車内販売を行わない」と割り切って通路幅を極限まで切り詰め、従来の座席の配列(2+3列)より多い「3+3列」の配列を実現。E1系が引退したいまは、次世代のE4系、E5系が活躍しており、E4系は16両編成で最大定員1634名と、高速鉄道として世界最大の定員数、E5系は新幹線史上最高の時速320kmを誇っています!
東海道新幹線の開業から40年後の2004年に部分開業(鹿児島中央〜新八代間)、2011年に全線開業(博多〜新鹿児島間)した九州新幹線。九州地方待望の新幹線として、熱烈な歓迎を受けたのは記憶に新しいところです。
この九州新幹線には、カモノハシのようなフォルムが特徴のN700系と、700系をベースにした800系が投入されていますが、九州新幹線のこだわりが存分に発揮されているという意味で軍配が上がるのは800系でしょう。従来の新幹線が、機能的、近未来的ともいえるデザインを取り入れているのに対し、800系には伝統工芸をモチーフにした意匠が随所に施されています。
そんな九州新幹線のさらなる魅力は、九州新幹線の周辺駅を拠点に配置された、個性あふれる観光列車「D&S(デザイン&ストーリー)列車」たちを活用して、九州の各地域を存分に堪能できるところ。高齢者や鉄道ファンを中心に人気を呼び、いまではビジネス需要も増えていることから、ほかのJR各社も独自の取り組み作りに力を入れているのだとか。

2015年3月14日、東京〜金沢間を2時間28分(最短)で結ぶ北陸新幹線がいよいよデビューします。「長野新幹線」の名で親しまれてきた高崎〜長野間の開業から8年。北陸新幹線の年間輸送力は1800万人に上るともいわれており、地元経済の活性化は確実です! 2014年3月に国土交通省が発表した公示地価では、三大都市圏を除くと金沢駅近くの商業地が全国首位の上昇率を記録しているほか、東京にある本社の一部機能を移転する企業も出てくるなど、北陸新幹線効果はすでに現れているといえます。
金沢〜新大阪間を北陸新幹線が結ぶ計画や、2016年春に開業を予定している北海道新幹線、そして2014年末についに工事がスタートしたリニア中央新幹線など、今後も新幹線のトピックは目白押し。新幹線が日本全国を駆け巡る頃には、私たちの暮らしはどんなものになっているのでしょう?
「弾丸列車」から「新幹線」へ。日本の発展と人々の暮らしに貢献し続けてきた新幹線は、これからも私たちの生活を魅力あるものにしてくれそう! 次ページでは新幹線にまつわるトリビアをご紹介。「新幹線が山手線より遅い」ってどういうこと?