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活用広がる冷凍食品
vol.88

普及のために釣り堀や大試食会?
冷凍食品のトリビア

冷凍食品がまだ一般的でなかった頃は“冷凍食品=おいしくない”というイメージが根強く、普及のためにさまざまな試みが行われていたようです。このページではそんな冷凍食品にまつわるトリビアを紹介します。

トレーラーで全国各地を行脚?

 漁港に山積みしていた魚が腐ってきたため冷蔵庫に入れたところ、翌朝、魚がカチカチに凍って臭いも消えていたので「冷凍すると魚のイキがよくなる」という笑い話まで生まれたほど、冷凍食品そのものが珍しかった時代。その普及には多くの苦労があり、戦後、百貨店で催された冷凍魚の展示即売会では、話題づくりのために短い竹に糸と釣り針を付けて冷凍魚の“釣り堀”を設けたこともあったそう。
 宣伝映画やテレビの料理番組での紹介なども試される中、特にユニークだったのが「冷凍食品展示自動車」です。これは、電気式の冷蔵庫の普及が始まったばかりで、電子レンジにいたっては非常に高価だった1960年代後半に登場した、冷凍食品をPRする大型トレーラー。冷凍食品のショーケースや電子レンジ、調理台が備え付けられていて、地域の主婦を対象に、冷凍食品の解凍や調理体験、試食、即売などを全国各地で行っていたといいます。

極寒の土地でも腐ってしまった

 冷凍食品が広く普及するきっかけは東京オリンピックでしたが、その少し前にも冷凍食品に注目が集まる出来事がありました。1956年、戦後初めて日本から派遣された南極観測船「宗谷」に越冬用の食料として、冷凍すしセットや冷凍うなぎ蒲焼きをはじめ、約70種類、20トンの冷凍食品が積み込まれたのです。
 船内や基地での食事に採用された冷凍食品、インド洋航海中はその暑さから一部の食材にカビが生えてしまうトラブルが発生しましたが、一番の問題は「冷凍庫が準備できなかった」ということでした。というのも、南極は極寒の土地だから野外に置いておけば食品は腐らないと思われていたため、冷凍庫の準備が出航ギリギリとなり、宗谷に積み込めたのは冷凍機とドアだけだったそう……。南極では海氷の割れ目を利用して横穴を掘り、そこにドアを取り付けて冷凍機を設置、食品を保管していたそうですが、海水面が上昇して食品が水浸しになったことも。初めての南極観測は、まさに未知なることの連続だったようです。

1万人規模の大試食会も

 1980年代には日本冷凍食品協会が主催者となり、大規模な試食会も催されました。1986年、東京・恵比寿で初開催されたのが「冷凍食品10,000人の大試食会」。4トンもの冷凍食品を使って、和・洋・中の135メニューが提供されたという試食会は大賑わいで、食べ残しをビニール袋に入れて持ち帰ったり、料理を補充する配膳係に来場者が殺到したりするほどの混乱ぶりだったとか。試食会の模様は翌日、10月18日の主要な新聞に取り上げられましたが、実はこの日は冷凍食品のアピールのために定められた「冷凍食品の日」でもあったのです。

10月18日がなぜ「冷凍食品の日」?

黎明期のヒット商品、料理店も買い付け?

 夕食のおかずに一品プラスしたり、お弁当を充実させるためにも重宝する冷凍のお総菜。冷凍食品の一大ジャンルとなった家庭用冷凍総菜のルーツとされているのは、意外なことに茶碗蒸しなんです。
 まだ冷凍食品が珍しく、百貨店などの特設コーナーで販売されていた1952年、東京・渋谷の東横百貨店で発売されたのが日本冷蔵(現ニチレイ)の冷凍茶碗蒸しでした。外箱が緑色だったことから“緑の茶碗蒸し”と呼ばれた一品は、出汁で溶いた卵液と具材がパック個装されていて、食べるときに解凍し、容器に移し替えて蒸すというもの。現在の感覚からするとひと手間かかりますが、これを目当てに行列ができ、料理店が買い付けにくるほど人気商品だったとか。

時代を超えて愛される冷凍果物

最近はコンビニエンスストアのプライベートブランドでも冷凍食品が登場し、ごはんのおかずやお酒のつまみにぴったりの商品が充実していますよね。私たちの食生活に欠かせない存在となった冷凍食品。これからもさらなる発展に注目したいですね。

参考文献(順不同)
比佐勤『こんなこともあった〜冷凍食品発展の側面史〜』(冷凍食品新聞社)/野口敏『冷凍食品を知る』(丸善)/野口正見、白石真人『ぜひ知っておきたい 日本の冷凍食品』(幸書房)/村瀬敬子『冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年』(論創社)/一般社団法人日本冷凍食品協会(ホームページ)/冷凍食品エフエフプレス(同)/毎日新聞(同) 等

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