トップページ > 特集 vol.64 週刊少年マンガ誌の世界

週刊少年マンガ誌の世界

一度開けば、その世界観に引き込まれてしまう週刊少年マンガ誌。数々の人気作を生み出し、“少年向け”とはいえ幅広い層に親しまれているこのメディアは、どのように発展してきたのでしょう。子どもだけの読み物だった黎明期から、広く支持を集めるようになるまでの変遷をまずは探ってみました!

マンガ離れを食い止めろ!週刊誌ブームに乗って王道2誌が同時誕生

 1956年、『週刊新潮』が創刊されたことを皮切りに、現在も続く『女性自身』、『週刊現代』、『週刊文春』や、『週刊明星』、『朝日ジャーナル』、『週刊平凡』などが相次いで創刊され、出版界には週刊誌ブームが起こりました。
 週刊少年マンガ誌が世に登場したのはそんなブームの最中のこと。ベビーブーマーの子どもたちが大きくなり、テレビも各家庭に普及し始めたことで、当時のマンガ界は貸本マンガや子ども向け月刊誌の人気が落ち込み、マンガを離れる世代のつなぎとめが模索されていました。そこで、学年誌大手の小学館と講談社が子ども向けの週刊誌の準備を始めるのです。

スポーツニュースやラテ欄もあった!?

 1959年3月17日、初の週刊少年マンガ誌である『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』(講談社)が同時発売されます。前者の表紙はプロ野球の長嶋茂雄、後者の表紙は大相撲の大関(当時)・朝汐で、月刊少年誌の平均価格の4分の1ほどの価格でした。現在のようなマンガ専門誌というよりは、プロ野球や大相撲のニュースがあったり、テレビ・ラジオの番組紹介があったりと、大人向けの週刊誌を子ども向けにしたような内容だったといいます。

憧れの世界を演出した週刊少女マンガ誌

 『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』の創刊から間もなくして、少女向けの週刊マンガ誌も登場しました。1962年末に『週刊少女フレンド』(講談社)、翌年5月に『週刊マーガレット』(集英社)が創刊され、里中満智子、望月あきら、大和和紀、青池保子、浦野千賀子、水野英子、池田理代子らがそれぞれの雑誌で少女マンガの世界観を広げていきます。創刊号の表紙を見ると、両誌とも外国人少女を起用したおしゃれな雰囲気。子どもたちが憧れる世界を魅力的に伝えていたことがうかがえます。
 また、1960年代は東京オリンピックの開催もあり、スポ根マンガが多く登場した頃。 “東洋の魔女”と称された女子バレーボール日本代表の活躍で空前のバレーボールブームが起こり、『サインはV!』(原作:神保史郎 画:望月あきら/『週刊少女フレンド』)、『アタックNo.1』(浦野千賀子/『週刊マーガレット』)など、女子バレーボールを扱ったマンガがテレビアニメ化、ドラマ化されるなど人気を博しました。

創刊号を無料配布!!

 『週刊少女フレンド』より少し遅れて創刊された『週刊マーガレット』は、その創刊号をPR版として65万部も無料配布したことでも話題になりました。実は、そんな両誌の創刊前には、小学館から『週刊少年サンデー』の妹誌である『少女サンデー』(不定期刊)が創刊されていたんです。しかし、1960年9月の刊行から2年弱で休刊と、短命に終わってしまったとか……。

マンガ誌戦国時代に起きた珍移籍!

 先に紹介した週刊少年マンガ誌2誌ですが、手塚治虫や寺田ヒロオ、藤子不二雄(当時)、横山光輝ら人気マンガ家を連載陣に抱える『週刊少年サンデー』が当初は人気を集めていたようです。
 一方の『週刊少年マガジン』も『墓場の鬼太郎』(水木しげる)、『無用ノ介』(さいとう・たかを)など当時気鋭の劇画作家や貸本作家を起用したり、原作者を使ってマンガ制作を効率化して『巨人の星』(原作:梶原一騎 画:川崎のぼる)や『あしたのジョー』(梶原が高森朝雄の名で原作を担当 画:ちばてつや)などのヒット作を生み出し、1966年末には100万部を突破します。
 1960年代後半には『週刊少年キング』(1963年創刊/少年画報社)、『少年ジャンプ』(1968年創刊/集英社)、『少年チャンピオン』(1969年創刊/秋田書店)、『週刊ぼくらマガジン』(1969年創刊/講談社)も出揃い(『少年ジャンプ』と『少年チャンピオン』はのちに週刊化)、少年向けの週刊マンガ誌だけでも6誌という群雄割拠の時代に突入! そんな中、今では考えられないようなある珍事件がマンガ界で起こりました。
 それは、『週刊少年マガジン』で人気連載だった『天才バカボン』が、1969年に『週刊少年サンデー』に“電撃移籍”したというもの。作者・赤塚不二夫の直談判で実現したそうですが、『週刊少年サンデー』に移籍してから半年で同作は終了してしまい、『週刊ぼくらマガジン』を経て『週刊少年マガジン』で再連載が始まるという数奇な運命をたどることになりました……。

右手に週刊誌、左手にマンガ誌!?

 大人も子どもも週刊少年マンガ誌を手に取る光景は今では珍しくありませんが、子ども以外の世代が少年向けのマンガを読むようになったのも、1960年代後半から70年代にかけてのこと。『月刊漫画ガロ』(青林堂)、『COM』(虫プロ商事)、『週刊漫画アクション』(双葉社)、『ヤングコミック』(少年画報社)、『ビッグコミック』(小学館)など青年向けのマンガ誌が刊行されたことで、週刊少年マンガ誌も青年層を意識した作品を掲載するようになり、全共闘時代には「右手に『朝日ジャーナル』、左手に『マガジン』」と言われるほど若者から支持を集めました。当時の大人の常識からすれば、高校生や大学生が少年向けのマンガを読むのは考えられないこと。マンガ誌を読む彼らの姿がメディアで報じられるほどだったのです。

登場人物の告別式に800人!!

 マンガが若者から熱い支持を集めていたことを強く感じさせるのが、1970年3月に行われた「力石徹の告別式」です。これは、『週刊少年マガジン』で連載されていた『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈のライバル・力石が劇中で死んだことを受けて、講談社の講堂で実際に告別式を執り行ったというもの。劇団「天井桟敷」を主宰する作家の寺山修司が演出し、800人を超える参列者を集めたとか! マンガが雑誌の中にとどまらない、さまざまな可能性を持っているメディアであることを示唆する出来事だったといえますね。

ブームから文化として定着

 横山光輝『バビル2世』や水島新司『ドカベン』、手塚治虫『ブラック・ジャック』などのヒットで部数を伸ばした『週刊少年チャンピオン』。新人マンガ家の起用やマンガ家の“専属制”、読者アンケートを重視する誌面づくりで支持を集めた『週刊少年ジャンプ』。こうした後発組の躍進や、各誌の人気作がテレビアニメ化や映画化されるメディアミックスも進んだことで、1979年には週刊少年マンガ誌5誌の総計部数(新年特大号)が1000万部を記録! 単なる子ども向けメディアや一過性のブームでは終わらない、ひとつの文化として定着します。
 特に『週刊少年ジャンプ』は、1970年代後半には池沢さとし『サーキットの狼』で全国を席巻したスーパーカーブームを牽引し、1980年代には『Dr.スランプ』や『DRAGON BALL』(鳥山明)、『キャプテン翼』(高橋陽一)、『北斗の拳』(原作:武論尊 画:原哲夫)、『聖闘士星矢』(車田正美)など人気マンガのメディアミックスを積極的に推進。1990年代には『幽☆遊☆白書』(冨樫義博)や『SLAM DUNK』(井上雄彦)などの大ヒット作も生まれたことで、1995年には653万部という前人未到の発行部数を記録するのです!


ヒット作が映画化され、そこで原作の魅力を知ったファンがマンガを読み始めるという動きは、最近でもよく見られますよね。次ページでは週刊少年マンガ誌が世の中に与えた影響も見ていきます。

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