金属製のスプーンをいとも簡単に曲げてしまったり、未解決事件の犯人の手がかりを証言したり……現代の自然科学では説明のつかない能力を発揮する超能力者は、昔から私たちを夢中にさせてきました。近年は取り上げるメディアこそ少なくなったものの、いまでもフィクションの世界では超能力は重要なモチーフのひとつ。そこで今回の「Trace」は、超能力にまつわるさまざまなエピソードを集めてみました!

「超能力は実在しない!」と一蹴してしまうのは簡単ですが、それまで説明のつかなかった未知の領域に飛び込むことは自然科学の真髄でもありますよね。実は、世界には超能力のような超常現象をいたずらに肯定する疑似科学やオカルトとは距離を置き、あくまでもアカデミックにその存在があるのかどうかを見極める「超心理学」という学問があるんです。
そんな超心理学の世界では、超能力は大きく3タイプに分かれるといわれています。
- Extra-sensory perceptionの略で「超感覚的知覚」「感覚外の知覚」と訳される。透視やテレパシー、予知能力などが含まれ、いわゆる虫の知らせや第六感もこのひとつ。
- Psychokinesisの略で「念力」のこと。微小な現象に影響を与えるミクロPKと、物体を移動させたり、スプーン曲げ、念写のように大きな物体に働くマクロPKに分類される。
- 死後生存や生まれ変わりのこと。「前世のことを覚えている」といった能力もこれに含まれる。
とはいえ、こうした超能力の“実在”が既に明らかになっているわけではありません。心理学、物理学、医学、生物学、統計学など、さまざまな分野にまたがる超能力の解明に向けて、現在も地道な研究が進められているのだそう。

超能力の研究は、100年以上の歴史があるといいます。ただし、そのルーツは超能力ではなく、幽霊にあるようです。幽霊の研究が始まった大きなきっかけは、1848年にアメリカのハイズビルという田舎町で起きた、のちに「ハイズビル事件」と呼ばれる騒動でした。この街で暮らしていたフォックス家の姉妹が家の中にいる霊とコミュニケーションできるという噂が広まり、希望者を有料で家に招いて目の前で霊と交信してみせる「交霊ショー」を始めたのです。彼女たちの評判は全米中、そしてイギリスにも飛び火し、各地で霊能者が続々と誕生、交霊ショーもさかんに行われるようになります。そんな熱狂の中、のちの超能力や超常現象の研究につながる、霊の科学的研究を目的とする英国心霊研究協会(SPR)が発足しました。
ちなみにフォックス姉妹は、1850年代初頭には複数の新聞で「彼女たちの交霊はトリックだ」と指摘され、1888年には姉妹のうちの一人、マーガレットが「自分たちの行いはペテンだった」と告白……! 親を驚かせるための子どものいたずらだったそうですが、一部の心霊研究家やスピリチュアリストのあいだでは、「ハイズビル事件は真実」といまでも信じられているのだとか。
世間を賑わせた心霊現象も、その多くが悪質なトリックや詐欺だと明らかになり、1910年頃には心霊研究も下火になってしまいます。しかし、アメリカ・ノースカロライナのデューク大学で心理学教授を務めていたジョゼフ・バンクス・ラインが、霊媒師と名乗らない一般の人を被験者として超常現象を追求する実験の方法論を整備。1935年には同大学に超心理学研究所を立ち上げ、現在の超能力研究の土台をつくりました。「ESP」という言葉を生み出し、テレパシー実験の際に用いる「ESPカード」(星形や十字、波模様が描かれたカード)を発案したのもこのライン教授なんです。

日本にも明治後期に列島を揺るがす超能力ブームが訪れました。1910年頃の日本で注目されていたのが「千里眼」と呼ばれる透視能力です。その能力者の筆頭といえるのが、ジャパンホラーの先駆けとなった映画「リング」の貞子の母・志津子のモデルといわれる熊本の御船千鶴子。東京帝国大学心理学科助教授の福来友吉と京都帝国大学教授の今村新吉は、義理の兄の催眠術がきっかけで透視能力が開花したという御船を被験者に、手紙の透視実験を実施。この実験に手応えを感じた福来らは、1910年9月に「ハンダで封をした鉛管に入れた紙に何が書いてあるか」という公開実験を東京で行いました。
実験は成功に終わったと思いきや、御船が透視に成功した鉛管は前日に福来が練習用として渡していたものだと判明し、透視能力の真偽はうやむやに……。しかし、新聞でこの経緯が大々的に報道されたことで、日本各地から新たな能力者が名乗りを上げるようになります。
なかでも、文字を写真の乾板に焼き付ける「念写」ができるという香川の長尾郁子には、御船同様、専門家を招いた公開実験が行われました。一度目は写真の乾板そのものが入っておらず、二度目の実験ではロールフィルムが持ち去られてしまうなど、謎のトラブルが続いたまま実験は中止。この頃からマスコミの論調が否定的なものに変わり、日本中で超能力は科学か否かという論争を巻き起こすことになるのです。
ブームの影響やマスコミにスキャンダルを取り沙汰されたことなども影響してか、実験からしばらくして長尾は病死、御船は自殺、福来も東京帝大の職を追われてしまいます。結果的に一連の「千里眼事件」は、日本では超能力研究がタブー視されてしまうきっかけにもなってしまったのです。
千里眼に続いて大正時代にブームになったのが「催眠術」です。明治時代から心霊治療として広まり、指南書も刊行されたことで、大人から子どもまで“遊び感覚”で試されることも多かったそう。しかし、ブームとなったことで催眠術にまつわる事故や犯罪が多発。警察からはみだりに催眠術を使う者は拘留、もしくは罰金を徴収するといったお触れも出たそうです。

1970年代は日本中の老若男女が、スプーンを曲げることに熱中したといっても過言ではないでしょう。世界でもっとも有名な超能力者ユリ・ゲラ—が来日したのは1974年のこと。スプーンをただ触っているだけで飴細工のように曲がる「スプーン曲げ」のパフォーマンスがテレビ番組で放送されると、全国で「テレビを見ていたらスプーンが曲がった」という子どもが続出し、超能力ブームが巻き起こりました。
全国で誕生したちびっ子超能力者は連日、週刊誌やテレビなどで引っ張りだことなりましたが、能力を披露する際に「コンディションが悪かったから」とトリックを使った少年が週刊誌にスクープされたことで、千里眼事件同様、マスコミの論調は懐疑的なものに変化。超能力ブームは継続しながらも、現在にも見られるような肯定派、否定派の“超能力論争”が激化していったのです。
ユリ・ゲラーはイスラエル出身で、もともとは劇場の舞台などで“超能力芸”を披露して生計を立てていたといいます。権威あるイギリスの学術雑誌『Nature』に論文が掲載されたことで超能力者としてブレイクしましたが、論文に掲載された実験にはさまざまな“穴”があったという意見も多く、またスプーン曲げはマジシャンたちがテコの原理を応用し、まったく同じように再現してみせることもできたことなどから、彼の超能力が手放しで真実かどうかは闇のなかだとも……。とはいえ、最近はイギリスBBCのドキュメンタリー番組に出演し、アメリカの超能力スパイとして活躍していたことを公表して話題にもなりました。
1970年代といえば、「1999年に世界は終わる」と解釈できる予言を残したノストラダムスが大ブームとなった時代でもあります。1973年、ルポライターの五島勉が刊行した『ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』(祥伝社)は100万部を超えるベストセラーとなり、映画も制作されたほど。また、話題になり過ぎてしまったことで「社会を混乱させる」「子どもに悪影響だ」といった批判も高まりました。そんなノストラダムスの本名はミシェル・ド・ノートルダムで、ノストラダムスは筆名。フランスの医師、詩人、占星術師で、40代後半から予言者として著作活動を展開。ノストラダムスの大予言は、16世紀から遠い未来までのさまざまな出来事を暗示する四行詩で、この内容があまりにも謎めいていたために、日本のみならず世界中の人々を魅了していたのです。
嘘でも真実でも人々を夢中にさせる超能力。次ページでは、意外な人物の知られざる超能力研究についても紹介します!