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サウナでひと息
vol.86

極寒の大地が生んだ癒やし
サウナでひと息

フィンランドでは「サウナ、酒、タールが効かない病気は治らない」と言われていたほど伝統的な治療法として、そして人々の癒やしとして親しまれてきたサウナ。その歴史は4000年前にさかのぼることができるといいます。

住居や貯蔵庫と兼用でした

 熱々の石で熱せられた空間で発汗をうながす“石発汗浴”は、4000年も前から世界各地で見られた入浴法です。なかでも小屋の中に設けたかまどに石を置き、熱せられた石に水をかける熱気・蒸気浴のサウナは、ウラル系、あるいはシベリアに住んでいたパレオシベリア系の民族から伝えられ、ユーラシア大陸の北西部で古くから親しまれていたと考えられています。
 現在のフィンランド南東部からロシアの北西部に広がるカレリア地方には、フィンランド人のルーツであるフィン族が使っていたと思われるサウナの遺跡があるのだそう。寒さが厳しい大地で冷えたからだを癒やし、温めてくれるサウナは、テント、半地下の小屋、河原の崖を利用した地中式の小屋とかたちを変え、地上の小屋での生活が始まってからも、住居や穀物の貯蔵庫と兼用で利用されていたといいます。
 ちなみに、「サウナ」とはフィンランド北部のラップランドで暮らすトナカイの遊牧民、サーミ人の言葉である「サウン」が語源という説も。「ラップランドの鳥のための雪のくぼ地」という意味の言葉が、雪の中の安全なくぼ地、つまり寒さから守ってくれる場所となり、日々の暮らしに安らぎを与えてくれるサウナと呼ばれるようになったとか。

フィンランド人がいるところにサウナあり

 人口約550万人のフィンランドには、300万を超えるサウナがあるといいます。古くは自然の中に設けられたサウナ小屋のほか、住宅地の住人が共同で利用するサウナ小屋や、日本の銭湯のような民間経営の公衆サウナもありました。今では一戸建ての住宅はもちろん、集合住宅やオフィス、病院や学校などの公共施設、世界中のフィンランド大使館、領事館にもサウナが置かれているのが当たり前なのだそう。フィンランド人のサウナ愛を象徴するのが、平和維持軍が紛争地に赴く際にもサウナを欠かさないということ。キャンプ設営地に到着してまず初めに行うミッションがサウナの設営、なんて話もあるんです。

世界も日本もオリンピックでサウナを知った?

 フィンランドのサウナが国際的に注目されたのは、1936年のベルリンオリンピックでした。フィンランドチームが現地にサウナを持ち込んだことで、ドイツをはじめとするヨーロッパの国々で広く楽しまれるようになったとか。また、日本でサウナが一般的になったのもオリンピックがきっかけ。1964年の東京オリンピックで、フィンランドの選手村に本格的なサウナが設置され、異国の“お風呂文化”がマスコミに大きく取り上げられたといいます。
 実は、それ以前の1957年から、銀座の入浴レジャー施設「東京温泉」に和製サウナが導入されていたものの、そちらは蒸気の熱で室温を上げるもので、本格的なサウナ=スモークサウナではなかったそう。東京オリンピックの2年後、1966年には本場のサウナを忠実に再現した「スカンディナビア・クラブ」が渋谷に開業。昭和40年代にはサウナ愛好家も急増し、ピーク時には3000店を超えるサウナ施設が営業していたようです。

利用には帽子が必須

 サウナが文献に初めて登場したのは、11世紀から12世紀にかけて成立したロシアの年代記「原初年代記」とされています。ロシア世界の神話や聖者伝、民間伝承を集めた“ロシア版古事記”とも呼ばれる文献の中で、十二使徒の一人、聖アンドレの布教の一場面として、木の風呂を熱すぎるほど焚き、冷たい水を浴びるノブゴロドの人々の習慣が描かれているのだそう。
 そんなロシアには、フィンランドの伝統的なサウナに似た「バーニア(バーニャ)」があります。石積みのかまどで薪を燃やし、石を熱して室温を高めるところはスモークサウナそっくりですが、違いはかまどの上に湯沸かし用の釜を載せていること。この釜から絶えず蒸気が立ち、スチームバス(湿式熱気浴)のように利用するんです。温度も湿度も高いため、頭皮や髪の毛、耳をやけどから守れるように、おおいがついたフェルト製の帽子を被るのが定番のスタイルだとか。

江戸時代にサウナを初体験

 日本でサウナが普及したのは前述の通り昭和時代ですが、実は、江戸時代に誰よりも先にサウナを味わった日本人がいました。江戸時代末期に難破してロシアに渡った船乗りたちです。仙台藩石巻の若宮丸の船員16人は、江戸に向けた航海中に暴風雨で遭難し、当時ロシア領だったアリューシャン列島のナアツカ島に漂着します。やがてシベリアの中心、イルクーツクに移された際に体験したのがバーニアでした。
 帰国した船員の話によると、イルクーツクでは住居から離れたところに“風呂屋”を建て、積んだ石を焼き、冷水を注いで湯けむりが充満した中で体を蒸すことで疲労を取っていたのだそう。月に4回ほどそこに入り、市中には“銭湯”もあったとか。図らずもロシア風サウナを体験した船員たちは、病死や帰化した者を除いて4人が帰国しましたが、ロシア初の世界周航船で日本へ戻る道中には、デンマークやイギリス、スペイン領アフリカ、ブラジルなどに寄港。鎖国時代に世界一周を体験した日本人でもあるんです。

日本のお風呂もサウナだった?

 日本で身体を温める入浴方法といえば、お湯がたっぷり入った浴槽につかる“熱湯浴”が一般的ですが、実は、風呂とは「室(むろ)」から転じた言葉。古くは蒸し風呂のことを指し、温泉や河川での沐浴や行水を別にすれば、江戸時代初期までの日本人にとって、お風呂は“蒸気浴”が基本だったそう。江戸の銭湯の一号店も蒸し風呂で、その後は熱いお湯を浴室に少し入れて、その中に入って戸を閉める戸棚風呂が盛んになりました。現在の銭湯のような熱湯浴が普及するのは明治時代、改良風呂が登場してからのことなんです。

石風呂、窯風呂、伊瀬風呂

 瀬戸内海沿岸で見られた石風呂や、京都・八瀬の窯風呂は、日本古来の熱気浴。そのルーツは、ロシア南部で見られたドーム状のパン焼き窯を風呂の代わりにする習慣が、韓国の熱気浴「汗蒸」となり、その文化がもたらされたのではないかといわれています。また、伊勢地方には小屋の中に置いた石を焼き、水を注いで湯気を立てる伊勢風呂という入浴文化もあったとか。熱気・蒸気浴という意味では、フィンランドのサウナに一番近いかもしれませんね。

オリンピックでサウナが普及する以前、かたちは違えど熱気・蒸気浴があったとは不思議なものですね。次ページでは、日本で独自に進化したサウナ文化について掘り下げます。

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