2016年のリオデジャネイロオリンピックで、112年ぶりに正式種目として復活するゴルフ。その歴史を紐解くと、発祥の頃から古今東西の人々を魅了してきたことがわかります。今月の「Trace」は、そんなゴルフのルーツにまつわるエピソードをご紹介します!

ゴルフが近代スポーツとして花開いたのは、ゴルフの本場・スコットランド。ただし、その起源には諸説あることをご存じでしょうか? 例えば、「小さなボールをクラブで打つゲーム」としての起源は、紀元80年、ローマ帝国の将軍がスコットランドを征服した際に行っていた、羽毛をつめた革製のボールを木杖で打つ「パガニカ」という球戯にまでさかのぼることができるのだそう。
一方、日本でよく語り継がれていたのが、ゴルフの聖地と呼ばれるスコットランドのセント・アンドルーズで、羊飼いの遊びとして始まったという説。羊飼いが先の曲がった杖で小石を打ったところ、ウサギが掘った穴に偶然転がり込み、それが新しい遊びとして仲間うちに広がったというものですが、この説を裏付ける歴史的な証拠はないともいわれています。
ほかにも、12世紀前半、中国の北宋時代には「捶丸(すいがん)」というゴルフに似たゲームが流行していたと中国の研究チームが発表していたり、オセアニアの原住民がゴルフに似た遊びを行っていたという記録もあるなど、ゴルフのような球戯が古くから世界中の人を魅了していたことがわかります。
羽毛をつめた革製のボールや石を打つことから始まったゴルフですが、現在のような表面が凹凸で覆われたボールになるまで、ゴルフボールはどんな進化を遂げてきたのでしょう? ここでボールの主な変遷を振り返ってみましょう。
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●フェザーボール
15世紀中ごろに登場した、羽毛を牛革や馬革で包んだボール。高度な技術を要するため、非常に高価だったそう。
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●ガッタパーチャボール
1845年、スコットランドの牧師アダム・パターソンが発明。天然ゴムを使っており、フェザーボールと比べて安価で大量生産できたため、貴族から一般市民にまでゴルフが広まるきっかけに。
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●ハスケルボール
1899年、アメリカの医師コバーン・ハスケルが開発。ゴム製の芯に糸ゴムを巻き付け、樹脂のカバーを被せた現在のボールの原型で、ガッタパーチャボールよりもよく飛び、コントロールもしやすくなりました。
20世紀に入ると、合成ゴムでできたワンピースボール、ボールのコアとなるゴム部分をカバーで覆ったツーピースボール、コアを2種のカバー、もしくは2つのコアを1つのカバーで覆ったスリーピースボールと、その構造も多層化し、ボールの飛距離やコントロールの精度もどんどん増してきました。
そんなゴルフボールですが、ゴルフ黎明期はボールの表面が滑らかだったんです。現在のボールのように多数のくぼみ(ディンプル)が付いたワケは、キズが付けば付くほど“より遠くに飛ぶ”ことがわかったから。いまではディンプルの数や深さ、大きさなどの設計に、スーパーコンピュータのシミュレーション技術が活用されているほどなのだそう。

はじめは木製だったゴルフクラブも、ボールの進化とともに金属製のクラブやシャフトが登場し、細分化が進みました。そんなゴルフクラブの本数は上限14本と定められていますが、昔は本数が決まっておらず、1930〜40年代に活躍したアメリカのゴルファー、ローソン・リトルは、現在の2倍強となる31本ものクラブを持ってプレイしていたといいます。
ゴルフクラブが14本になったのは、ゴルフの総本山R&Aのルール委員長になるトニー・トーランスと、球聖として尊敬されている伝説のゴルファー、ボビー・ジョーンズが話し合ったことがきっかけ。トーランスは12本、ジョーンズは16本のクラブを使っていることがわかり、そのあいだをとって14本を適正本数としようと決まったのだとか。なんともユニークなゴルフの歴史ですね!
日本のゴルフの歴史は、1901年、英国人のアーサー・ヘスケス・グルームが神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場を開場したことに始まりますが、国内の第1次ゴルフブームは1957年、第5回カナダカップが日本で開催され、中村寅吉・小野光一組が団体戦で優勝、個人戦でも中村が優勝したことに端を発するといわれています。ここで、日本におけるゴルフブームをおさらいしてみましょう。
前述のカナダカップの日本人組の優勝でゴルフが大衆化。前年比でゴルファーの数が20万人から70万人へと3倍以上に、ゴルフ場の数も3ケタに増加したのだそう。
1970年代には尾崎将司らのめざましい活躍により、第2次ゴルフブームが日本に到来。プロ・アマチュア双方が国際化して女子プロゴルフも発足し、高度成長の波に乗って、ゴルフ場は大手ゼネコンによる数百億円の大プロジェクトへと進化。海外の一流の設計家によるゴルフ場も増えました。

1980年代に入ると、青木功が日本男子プロ初のアメリカプロゴルフツアー制覇を達成(1983年)。また、中嶋常幸が日本で初めて1億円プレイヤーとなり(1985年)、女子では岡本綾子がアメリカ人以外で初のアメリカ女子プロゴルフの賞金女王になるなど(1987年)、ゴルフ人気に拍車がかかります。バブル景気の到来で“接待ゴルフ”が盛んになり、1991年には国民の約1割がゴルフを楽しんでいました。
バブル崩壊で数々のゴルフ場が経営難に陥ったものの、1996年にはタイガー・ウッズがアメリカでプロデビュー。2000年代に入ると、初の高校生プロとして人気を呼んだ宮里藍や横峯さくらといった新しいヒロインや、史上最年少で賞金1億円を突破した“ハニカミ王子”こと石川遼らの活躍で、国内のゴルフ人気が再燃します。

少子高齢化でゴルフ人口が減少するなか、2016年のリオデジャネイロオリンピックでの正式種目復活や、2020年の東京オリンピック開催を受けて、若年層のプレイヤーを増やすさまざまな取り組みがスタート。“ゴルフ女子”や“ゴルコン(ゴルフ合コン)”という言葉も生まれ、敷居の高いイメージがあったゴルフを新しい感覚で気軽に楽しむ世代も増えています。

ゴルフの練習といえば、屋内外に設けられた練習場でクラブを振ったり、レッスンプロに指導を仰ぐのが一般的でしたが、ここ数年はそのスタイルも変化し始めているようです。
その大きな要因のひとつは、ゴルフシミュレーターの進化。2000年代初頭、韓国のゴルフ人気の高まりを受けて開発されたゴルフシミュレーターは、いまでは専門店までできるほど普及し、プロゴルファーの練習に導入されたり、プロが参加するトーナメントも開かれたりしているほど。
世界各国のさまざまな企業が開発に参入するようになり、スポーツ専門家やプロゴルファーの意見を取り入れたマシンや、打球計測に1,000個以上(!)のセンサーを用いるハイスペックなマシンが開発されるなど、屋外のゴルフさながらのプレイ環境を実現しています。従来はゴルフ練習場でレッスンを始めてコースデビューするものでしたが、これからの時代は室内のシミュレーターでレッスンから模擬ラウンドまで行い、ゴルフ場で実力を試すというスタイルが定着するかもしれません。近い将来、シミュレーターで腕を磨いたプロも登場したりして!?
古今東西の人々を夢中にさせ、楽しみ方も広がっているゴルフ。次ページでも、ゴルフにまつわるトリビアを集めてみました!