トップページ > 特集 vol.24 駄菓子Forever!

いくつになっても食べれば幸せ 駄菓子Forever!

子どもの頃、駄菓子屋で駄菓子を食べ過ぎて、夕ご飯を食べられずに怒られた経験はありませんか?大人になってもコンビニやスーパーで見かけると、ついつい手が伸びてしまう駄菓子。今回は、子どもも大人も魅了して止まない駄菓子のルーツに迫ります!

贅沢禁止令が駄菓子を生んだ?

 全国で減少の一途をたどっているとはいえ、色とりどりの駄菓子やおもちゃが所狭しと並ぶ駄菓子屋は、いつの時代も私たちの心を躍らせてくれるワンダーランド! そもそも「駄菓子」が世に広まり始めたのは、江戸時代といわれています。この時代、幕府は一般庶民の贅沢を戒めるために、奢侈(しゃし)禁止令を何度も発令。貴重品だった上白糖の使用は「上菓子」のみに許され、一般庶民が食べる甘味といえば、でんぷんを糖化して作った飴、果物、そして安価な黒糖を使って作るお菓子だったのだそう。黒糖を使うかりんとうやおこし、豆板などは「雑菓子」「駄菓子」「一文菓子」などといわれ、やがて安価なお菓子を扱うお店が「一文菓子屋」「駄菓子屋」と呼ばれるようになるのです。
 ちなみに、駄菓子には“駄”というマイナスイメージのある言葉が入っていることから、昭和の時代には「食品玩具」という呼び名もつけられたそうですが、なかなか定着しなかったのだとか……。

あの天才女流作家も駄菓子屋の“おばちゃん”でした

 明治時代を代表する小説家・樋口一葉。実は、彼女は文学だけでは生活できず、駄菓子屋を営んでいた時期があるんです。一葉が荒物雑貨と駄菓子屋を扱うお店を開いていたのは、明治26年から27年までの約1年間。東京府下谷区(現在の台東区西部)龍泉寺町にあった瓦葺平屋の二軒長屋で、住居も兼ねた駄菓子屋を切り盛りしていたのだそう。
 お店に来る子どもたちを観察し、暇を見つけては図書館に通ったり吉原見物をしながら、自身の小説を探求した一葉。お店の経営はうまくいかなかったようですが、当時の体験がもととなり、「たけくらべ」をはじめとする名作の数々が生み出されたのです。

昭和初期の駄菓子屋、主力商品は?

 明治時代に入ると一般庶民でも砂糖が使えるようになり、地方から都市部への人口流入が加速した大正末期から昭和初期には、都会を中心に駄菓子屋が急増。日本の植民地だった台湾や信託統治領の南洋諸島から砂糖を大量に入手できるようになったことで駄菓子自体の種類も増え、第1次駄菓子屋ブームが訪れます。当時、お店に並んでいた駄菓子を、ここで少しご紹介しましょう。

 こうしてみると、キャラメルやチョコレートはまだまだ贅沢品だったようですね。そんな駄菓子ですが、日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大し、物資の統制が始まったことで砂糖が統制の対象に。さらに子どもの疎開も始まり、駄菓子屋の賑わいは徐々に失われていきます。砂糖の統制は終戦後の昭和24年まで続き、闇市場では数百倍の高値で砂糖が取り引きされることもあったそう……。
 とはいえ、子どもに甘味を食べさせたいと、菓子会社はさつまいもに麦芽を加えて作る芋飴で飴やドロップを製造したり、寒天と甘味料を撹拌してお菓子にしたりと、さまざまな工夫を凝らして駄菓子を生産していました。そして、砂糖の統制が撤廃されると菓子会社は息を吹き返し、新たな会社も続々参入。駄菓子は再び隆盛を迎えるのです!

駄菓子が見物料のエンタメとは?

 駄菓子は駄菓子屋だけでなく、街頭の紙芝居屋でも楽しまれていました。拍子木の音を立てて紙芝居の始まりを告げる紙芝居師の自転車の荷台には、紙芝居はもちろん、たくさんの駄菓子が用意されていたのです。
 紙芝居は現金を払って見るのではなく、駄菓子を買うことで見ることができました。娯楽が少なかった戦前から昭和30年頃までは、駄菓子をほおばりながら紙芝居に夢中になる子どもの姿が、空き地や路地裏で多く見られたそう。一般家庭でテレビが普及し、塾や習い事で子どもが自由に遊べる時間も少なくなると、紙芝居屋は下火になりますが、一時期は東京だけでも数千人の紙芝居師が活躍していたといいます。

自転車をゲットできるかも……子どもの射幸心をあおったサービス

 駄菓子屋が日本中の子どもに浸透した背景には、多彩な駄菓子、おもちゃを扱い、子どもを常に惹きつけていたこともありますが、「当てもの」の存在も大きかったようです。
 当てものとはクジ引きのこと。ベーゴマやメンコ、ビーダマといった、“腕”がモノをいう勝負事とは異なる運試しとして、さらに、「お菓子やおもちゃがゲットできるかも……」という欲望をあおるギャンブルとして、さまざまな当てものが登場しました。「そういえば、駄菓子屋で一喜一憂していたな」という方、こんな当てものに覚えはありませんか?

 景品は駄菓子、おもちゃ、金券がメインでしたが、当てものが過熱していた昭和30年代には、自転車が景品になったこともあったのだとか!

実店舗は減っても駄菓子は元気に生き続ける!

 ライフスタイルの変化や店主の高齢化、スーパーマーケットやコンビニの台頭などにより、昭和40年代を境に駄菓子屋は急速に数を減らします。実はその一方で、大ヒットとなる駄菓子が続々と登場しているんです。おなじみの「ベビーラーメン(現在のベビースターラーメン)」「うまい棒」をはじめ、「キャベツ太郎」「餅太郎」「カットよっちゃん」「仮面ライダースナック」「ビックリマンチョコ」などなど、数え上げればキリがないほど!
 こうした駄菓子の多くはいまでもロングセラーを続けており、パッケージにバーコードや日付を印字して、駄菓子屋以外の食料品店でも販売できるようになっています。ノスタルジーを求める大人でも気軽に手に入れられることから、ある意味、駄菓子の市場は広がっているのかもしれませんね。
 駄菓子屋の情報を全国から募って発信しているウェブサイト「キャラメル横丁」によると、2014年11月26日現在、全国の駄菓子屋の数は415軒。昭和レトロブームに乗って駄菓子をおつまみで出す駄菓子バーが登場したり、インターネットで駄菓子を購入できるネットショップも充実するなど、駄菓子はいまでも生き続けています!


お店の数は減っても、私たちの心をつかんで離さない駄菓子。次ページでは、駄菓子屋に並んでいた駄菓子、おもちゃにまつわるトリビアをご紹介。お好み焼きのルーツは駄菓子屋にあった……?

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