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日本のアイスクリーム
vol.100

美味な出合いから160年
日本のアイスクリーム

暑い季節になると恋しくなるのがアイスクリーム。最近は“冬アイス”のように季節を問わないデザートとなりましたが、日本人が初めて出合ったのは今から約160年前だったとか! アイスクリームは日本でどんなふうに定着していったのでしょう?

出合いは“誠に美味”

 初めてアイスクリームを食べた日本人は、江戸時代末期の1860(万延元)年、ポーハタン号で太平洋を渡った徳川幕府の遣米使節団といわれています。
 フィラデルフィア号船上で開かれた、アメリカ政府による歓迎会で初対面した“アイスクリン(アイスクリーム)”は、「味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり」だったそう(『航海日記』より)。
 それから5年後、横浜の外国人居留地ではアメリカ人によるアイスクリームサロンが開業しますが、営業は居留地内の外国人に限られたもの。アイスクリームを広く売り出した最初の日本人は、1869(明治2)年に横浜馬車道通りで「あいすくりん」を販売した町田房蔵という人物です。
 町田が作ったのは、牛乳、卵、砂糖を材料にしたシャーベットのようなもので、一人前は金2分(50銭)。『日本アイスクリーム史』(日本アイスクリーム協会)によると、当時の「女工の月給の半分ほど」で、庶民にはなかなか手が出せない贅沢品でした。

3つの基本フレーバーが登場

 「開新堂」「風月堂」「函館屋」「資生堂」といった洋風レストランのメニューに加わり、当時急速に普及した鉄道の駅や、帝劇の売店などでも販売されるまでに広まったアイスクリーム。1920(大正9)年、東京・深川で冨士食料品工業(現冨士森永乳業)が工業的な製造をスタートすると、家庭でも味わえるようになりました。
 現在、アイスクリームのフレーバーの定番は、バニラ、チョコレート、ストロベリーとされていますが、それが形作られたのもこの頃のこと。1923(大正12)年に雪印乳業の創立者の一人、佐藤善七が自身の農場でチョコレート、ストロベリー、レモンの3種をセットにしたアイスクリームの製造を開始。その後、雪印ブランドに引き継がれると、レモンがバニラフレーバーに変更されて大ヒットになったそう。

戦後は多様化を遂げました

 太平洋戦争中は製造が中止され、戦後いち早く復活したのは“アイスキャンディ”でした。水とサッカリンなどの甘味料を混ぜて凍らせたシンプルな氷菓、それを詰めた保冷箱を自転車の荷台に載せ、鈴を鳴らしながら売り歩くアイスキャンディ売りは、1950(昭和25)年頃まで日本の夏の風物詩だったといいます。
 その後、1952(昭和27)年に雪印乳業がスティックアイスの製造を始めると、アイスキャンディからアイスクリームへと時代のトレンドも移りました。

国産機で普及に拍車

 ひと口にアイスクリームといっても、バーから、カップやコーン、モナカまでさまざまなタイプの商品があり、アイスを充填する機器の進化も欠かせません。今では当たり前のカップアイスも戦前から存在していたものの、本格的な製造が始まったのは1953(昭和28)年、雪印乳業の品川工場で国産のカップ充填機が稼働したのがきっかけだったそう。

もう1本食べられるかも……

 当たりがでたらアイスや豪華景品がプレゼントされる“当たりくじ付き”というアイデアで、アイス業界にとどまらない影響を多方面に与えたのが協同乳業の「ホームランバー(名糖アイスクリームバー ホームランシリーズ)」です。
 もともと同社は1955(昭和30)年にデンマークからアイスバーを充填・成形できる専用機器を輸入し、手作業だったアイスバーの大量生産を可能にしたパイオニア。国内初の「アイスクリームバー」は1本10円という安さで大ヒットし、東京・日本橋の本社ビル1階で製造工程を公開していたことも話題になりました。
 その後、新たなヒットを狙って1960(昭和35)年に発売されたのが「ホームランバー」です。当時の駄菓子屋では“当てもの”(くじ引き)が人気で、駄菓子やおもちゃ、金券が景品でした。そんな当てものとアイスクリーム、さらに子どもたちに大人気だった野球を組み合わせ、憧れの名選手・長嶋茂雄を広告キャンペーンに投入することで爆発的な人気に。発売年はすべての在庫が売り切れるほどだったとか。

幅広い層に受け入れられるように

 自動販売機で手軽に買えるアイスといえば、江崎グリコの「セブンティーンアイス」。子ども向けのイメージが強かったアイスクリームを幅広い年代に楽しんでもらえるようにと、「17歳の女子高校生」をターゲットに、豊富なバラエティ(17種類)やワンハンドで食べられるおしゃれさをコンセプトに開発されたもの。意外にも発売当初はスーパーなどで売られていて、発売から2年後の1985(昭和60)年に現在のような自販機での販売をスタートしました。ちなみに自販機の第1号が設置されたのは当時若者に人気だったボウリング場だったそう。時代を感じさせますね!

非日常を演出してくれる専門店

 スーパー、コンビニなどで購入できるアイスクリームですが、アイスを専門に扱うアイスクリームショップも、気分を盛りあげてくれるスポットではないでしょうか。
 日本で本格的に普及したのは、1974(昭和49)年にサーティワンアイスクリームが東京・目黒に出店したことがきっかけ。その後、1984(昭和59)年にはハーゲンダッツ、その翌年にはホブソンズが開店し、店頭に長蛇の列ができるほど専門店がブームとなりますが、近年は海外発の専門店の国内撤退が相次いでいます……。
 そんな中、着々とフランチャイズを拡大しているのが業界最大手のサーティワンです。2000年代には、ちょっとした非日常感を楽しめるショッピングセンターへの出店を増やして“ご褒美感”を高めるなどの戦略でファンを増やし、今では全国のアイスクリームフランチャイズの8割以上を同社が占めるほどだといいます。

プレミアムアイスも登場から半世紀

 コンビニやスーパーなどでカップアイスの販売に注力しているハーゲンダッツも、国内進出時には専門店も出店していました(2013〈平成25〉年に最後の店舗が閉店)。ハーゲンダッツにイメージされるようなプレミアムなアイスクリームは、今からちょうど半世紀前の1971(昭和46)年、明治乳業がアメリカのボーデンと提携して「レディーボーデン」を発売したのが皮切り。1個100円前後だった市場に800円という価格設定で、本場さながらの大型カップ(ホームサイズ)での販売は斬新なもので、他社も同様の高級路線を展開するほど影響を与えたんです。

コーンポタージュ、シチュー、ナポリタンなど衝撃のフレーバーを投入し、話題を呼ぶ赤城乳業「ガリガリ君」(40周年)、お餅とアイスのコラボで新たな食感を生み出したロッテアイス「雪見だいふく」(同)、ひと口サイズのアイスクリームの市場を切り拓いた森永乳業「ピノ」(45周年)など、今年は人気アイスクリームの記念年でもあります。みなさんはどんなアイスがお好みですか?

参考文献(順不同)
日本アイスクリーム協会『日本アイスクリーム史 昨日、今日、そして明日へ』(ホームページ)、読売新聞(同)、日本経済新聞(同)、メーカー各社ホームページ 等

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