ウインタースポーツの王様 スキー

vol.93

シーズン本格到来!
ウインタースポーツの王様 スキー

雪上を容易に歩行できる道具として生まれたスキーは、近代になるとスピードや飛距離を競う冬季スポーツの代名詞として発展しました。ウインタースポーツのシーズン真っただ中、世界、そして日本のスキー事情の移り変わりをたどってみます。

極地のハンターの“足”として

古代のノルウェー語で「薄板」や「割られた木」を意味する言葉に由来するスキー(ski)。その歴史は有史以前にさかのぼることができるといいます。
古代のスキーは、短く幅が広い歩行に適した極地型、左右で長さが違い、スケートボードのように片足で蹴って滑る北方型、現代のスキーに近い長めの南方型の3つに大きく分けられ、北欧の湿地帯などからは古代の狩猟民が使ったと思われるスキーが数多く見つかっているそう。
ノルウェー北部では、紀元前2500年頃に描かれたと推定されるスキーヤーの岩面刻画が発見されています。ウサギの耳のようなシルエットのマスクをかぶって弓状のスキーに乗り、狩りに使うと思われる鉤なりの1本ストックを持った姿は、スキーが狩猟民に利用されていたことを想像させてくれます。また、ロシアでもオオカミのマスクをかぶって大シカを追いかける紀元前500年頃のスキーヤーの画が発見されているんです。
中国の古い文献にも匈奴(きょうど)などの住民が“木の馬”に乗っているという、スキーを想起させる記述があるのだとか。スカンジナビア半島からアジア圏、そしてカムチャツカ半島まで、広範な極地の先住民にスキーは利用されていたようです。

日本発祥のスキー施設がある?

狩猟民や兵士の実用的な道具として、ときには遊び道具として利用されてきたスキーがスポーツとして発展するのは19世紀。まず、ノルウェーのテレマーク地方で人気を集め、19世紀も中頃になると、イギリス都市部のスポーツ運動に影響を受けた首都クリスチャニア(現オスロ)の市民のあいだで、自然を楽しみながら山野を滑るラングラウフやジャンプが楽しまれるようになりました。ただし、その盛り上がりは地理的な条件などから、しばらくは北欧の一部に限定されていたそう。
ほかの国々にも普及するきっかけとなったのが、ノルウェーの探検家フリチョフ・ナンセンによる『スキーによるグリーンランド横断』の出版です。40日間をかけて、スキーを使ってグリーンランドを横断した冒険譚のドイツ語版が1891年に出版されると、中央ヨーロッパの人々をも魅了したのです。
“スキー界のニュートン”と呼ばれるマチアス・ツダルスキーも、ナンセンの著書に影響を受けた一人。オーストリア南部、リリエンフェルトの山中に暮らしていたツダルスキーは、冬のあいだの燃料や食料の運搬用にスキーを使い始めましたが、広々とした雪山を滑りたいという思いから、急斜面をターンの連続で安全に滑るリリエンフェルト・スキー滑降術を考案しました。緩やかな丘陵地で発達した北欧のスキーとは異なる急峻な山岳地帯に適した体系を確立し、1905年には標高差約500m、全長2km、85の旗門を設けた初のスラロームレースも開催。のちのアルペンスキー競技の礎を築きました。

現代につながるスキー板、締具も登場

スキー技術の進歩に貢献した人物として忘れてはならないのが、テレマーク地方のソンドレ・ノールハイムです。ノールハイムは平地に設置されていたジャンプ台を傾斜地に移して、ストックなしのジャンプや、フォームも工夫。また、ターンがしやすいようにスキー中央部の幅が細く、両端がゆるやかに広くなった“くびれ型スキー”や、柳の小枝を用いてスキーを外れにくくした固定式のバインディングを開発しました。現代のスキーの基本形をつくったその功績から、ノルウェーでは“スキースポーツの父”と称えられています。

ノルディック、アルペンと異なる第3のスキー

余暇の増大でスキーがヨーロッパのみならず、アメリカやカナダでも楽しまれるようになると、従来のノルディック(北欧)やアルペン競技とは異なる、新しいスキー競技も確立されます。1979年に国際スキー連盟に正式種目として認められてワールドカップ・サーキットがスタートし、1988年の冬季五輪カルガリー大会で公開競技、1992年のアルベールビル大会で正式種目となったのが、アクロバットな要素を取り入れたフリースタイルスキーです。
フィギュアスケートのように音楽に合わせてジャンプやスピンを行うアクロ(もともとはバレエと呼ばれていました)、コブが密集した急斜面を滑降し、回転技術やジャンプを競うモーグル、ジャンプ台を使って空中演技をするエアリアルからスタートしたフリースタイルスキーは、そのトリッキーな動きや衝撃的なスキー技術から多くの若者の支持を集めたそう。今ではスキークロスやハーフパイプ、スロープスタイルなども採用され、さらに発展しています。
ちなみに、アクロバティックなスキーが1960年代、アメリカで発達した頃は、ホットドッグと呼ばれていたとか。コブのある斜面を自由に滑り降りる姿が、サーフィンのホットドッグという技術に似ていることがその由来だといいます。

高山の頂上から氷雪や岩がむき出しの超急斜面を猛スピードで滑降するエクストリームスキーや、崖などからパラシュートをつけて飛び降りるベースジャンプとフリースキーを融合したベースジャンプスキーなど、見ているだけでハラハラする過激なスキーも人気を集めています。ところで、そもそも日本ではどのようにスキーは受け入れられたのでしょう。詳しくは次ページをご覧ください。

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