ウインタースポーツの王様 スキー

vol.93

スキー人気の復活は?
日本のスキーあれこれ

さて、日本でどんなかたちでスキーが広まったのでしょう? 世界の極地で広く利用されてきたスキーですが、日本では積雪地帯でも“かんじき”が主流で、ヨーロッパ経由で輸入されるまで、その存在が知られることはなかったようですが……?

軍隊向けの訓練がきっかけ?

日本でスキー文化が本格的に花開いたのは、1911年、オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の陸軍少佐、テオドル・エドラー・フォン・レルヒが、新潟県高田(現上越市)の師団で指導を行ったのがきっかけといわれています。
レルヒの来日前、1902年には八甲田山の雪中行軍で青森の連隊200名以上が遭難し、11名を除く全員が凍死するという痛ましい事故が起きました。大惨事は世界に伝わり、スキーがあったら事故が防げたのでは……と北欧の国々からスキーが贈られたものの、使い方がわかる人はレルヒ以前にはいなかったようです。
レルヒが新潟や北海道の旭川でスキーを指導する中で、スキーの技術は軍事目的以上に、救援や捜索も含めた雪国での移動手段や体育の一環に適していると考えられ、学校教師ら民間人への講習会が実施され、彼らがさらに各地で指導に取り組んだことで全国的な普及につながったのだそう。

来日前に国産スキーが誕生?

 スキーそのものはレルヒの来日以前から存在していた日本。ユニークなのが、札幌農学校(現北海道大学)のドイツ語講師だったハンス・コラ—のエピソードです。スイス人のコラ—は1908年に同校に赴任すると、スキーのことが書かれた本を教材に使用していたそう。スキー道具も持ってきてはいたものの自身は滑ることができず、新しいスポーツに興味津々の学生はドイツ語の本を頼りに見よう見まねで練習を始め、馬ソリ屋にスキーをつくらせもしたとか。商品ではないスキーは、これが国産第一号ともいわれているんです。

美味しいとこ取りの○○○の登場

スキーはゲレンデで楽しむものというイメージが強いかもしれませんが、もともとはスキー登山や、スキーを履いて山野行をするスキーツアーが一般的でした。技術を習得する場所だったゲレンデのあり方に変化が起こったのは戦後のこと。1947年、進駐軍によって長野県の志賀高原にスキーリフトが設置されたことがきっかけです。
大正時代からスキーが楽しまれていた同地は1935年、日本初の国際スキー場として指定され、第二次世界大戦後は進駐軍によって接収されました。そして、進駐軍によるスキー大会のために、リフト1基が丸池スキー場に架設されたのです。
同じ頃、札幌の藻岩山にもリフトが完成しますが、どちらも進駐軍しか利用できないもの。日本人が自由に乗れるようになったのは、進駐軍の接収が解除された1952年頃だったといいます。それ以降、全国のスキー場でリフトが次々と建設され、時間や体力をかけて斜面を登ることもなく、高い斜面から滑り降りる楽しみだけを味わえるゲレンデスキーが普及したのだそう。

日本発祥のスキー施設がある?

登場当時、世界最大の屋内人工スキー場とうたわれたザウス(ららぽーとスキードームSSAWS/千葉県船橋)を覚えている方は多いでしょう。春夏秋冬(Spring, Summer, Autumn, Winter)、雪(Snow)の上を滑ることができることから名付けられた同施設は、スキーブームの真っただ中、1987年に開発が始まり、400億円というバブル期ならではの規模の大きさも話題になりました。1993年に開場し、2002年に閉鎖されるまで、長さ490m、高さ100mの人工ゲレンデには、ピーク時で年間100万人以上ものスキーヤーが訪れたといいます。
実は、それ以前から日本は屋内スキー場で世界をリードしていました。世界初の屋内スキー場とされたのが、1958年11月に開業した豊島園インドアスキー場。当時は冬季五輪コルティナダンペッツォ大会(1956年)の回転種目で日本人が初の銀メダルに輝くなどスキーブームに沸いた頃、翌年には埼玉県所沢でも狭山スキー場が開業しています。豊島園インドアスキー場は2000年代初頭に閉鎖され、としまえん自体も先日閉園してしまいましたが、狭山スキー場は2020年11月にリニューアルオープンされたばかりです。

野球の聖地もスキー場に!?

 ザウスが登場する50年以上も前、高校野球の聖地・甲子園が人工スキー場になったこともあるんです。1938年、第1回全日本選抜スキー・ジャンプ大会を行うため、木造のやぐらが設置され、妙高山から運んだ雪を敷き詰めたジャンプ台が設けられました。翌月には後楽園球場でも同様の取り組みが行われ、大会が成功を収めたことから翌年にも開催されたそう。雪があまり降らない大都市の人々に、新しいウインタースポーツをアピールする絶好の機会となったようです。

ブーム絶頂、そして現在は

日本でスキーがもっとも活況だったのは、昭和から平成にかけてのバブル期。1987年に原田知世主演のスキー場を舞台にした映画「私をスキーに連れてって」が公開されたことで若者を中心に人気が高まり、「レジャー白書」によると、スキー人口は1993年に1770万人台のピークを迎えます。その後は減少を始め、2017年時点では400万人まで落ち込んではいるものの、近年は海外からの訪日客の増加で復活の兆しが見えているようです。
2000年代に入って、日本のスキー場に魅了されたのがオセアニア地域のスキーヤー。“JAPOW”と呼ばれる日本特有のパウダースノーや、温泉や食事といったおもてなしが評判を呼び、特に北海道のニセコでは外国人による外国人のための施設も生まれるほど。5つ星ホテルのパークハイアットが東京、京都以外で唯一進出しているほか、2020年末にはリッツ・カールトンが開業。アマンなど高級リゾートの大規模開発も進行中です。
本州でも2019年には白馬八方尾根スキー場など10のスキー場から構成される白馬バレー(HAKUBA VALLEY)が誕生。極上のパウダースノーが味わえる日本最大級のスノーリゾートとして、アジア圏の訪日観光客からも人気を集めています。

時節柄、インバウンド需要はまだまだ期待できないものの、冬のレジャーの王道として、国内でも再びスキー熱が高まってくるかもしれませんね。

参考文献(順不同)
高橋幸一、野々宮徹編『雪と氷のスポーツ百科』(大修館書店)/長岡忠一『スキーの原点を探る レルヒに始まるスキー歴史紀行』(スキージャーナル)/全日本スキー連盟(ホームページ)/鹿島建設(同)/国土交通省(同)/文部科学省(同) 等

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