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雑誌とともにあゆむ“付録”
vol.136

紙メディアこその魅力
雑誌とともにあゆむ“付録”

ネットメディアが発達しても、紙の雑誌でしか味わえない魅力の一つが「付録」ではないでしょうか。読者にとっては本誌と違った楽しみであり、出版社にとっては雑誌の売れ行きを左右する重要なツールは、明治時代に誕生し、嗜好や規制の変化とともに進化を続けてきました。いざその歴史をたどってみましょう!

始まりは読者投稿を集めた別冊子

 1877(明治10)年に創刊された児童誌『穎才新誌(えいさいしんし)』は、日本で初めて全国規模で流通した子ども向けの投稿雑誌で、子どもたちの作文や習字などを掲載していました。日本における雑誌の付録の歴史は、そんな同誌の読者の投稿文などを別冊にまとめた小冊子から始まりました。
 冊子ではない物品の付録の元祖とされるのが、1889(明治22)年創刊の児童誌『小国民』に添付された「すごろく」で、大正時代には雑誌の新年号にすごろくを付けることが定番になったそうです。

風呂敷なしでは持ち帰れない?

 もちろん付録は子ども向け雑誌だけに限りません。特に女性向け雑誌は各誌が部数を伸ばそうと、工夫を凝らした付録を考案して差別化を図りました。
 創刊の翌年、1918(大正7)年1月号で初めて「開運独占ひ」という占いの別冊付録を付けた『主婦之友』(現主婦の友社)は、新しい読者を引き付けるためか、別冊付録だけを希望する読者にも1部数銭で販売していたそうです。

 『主婦之友』は同時期に創刊した『婦人倶楽部』(講談社)と付録合戦を繰り広げ、1934(昭和9)年の新年号では、500ページを超える家庭作法の百科事典『家庭作法法典』や童話絵本、姓名判断など15種類もの付録を添付。前例のない規模だったため発売日に印刷が間に合わず、「印刷と製本には全東京の最大印刷会社の総動員を行ひ、鉄道輸送にも空前の大能力を用ひ、今や昼夜兼行して製作と発送に奮闘努力をつづけております」と綴った異例の新聞広告を出稿して話題を集めました。
 3日遅れで発売された同誌はそのボリュームから、風呂敷を用意して本屋に行かなければならないほどだったそう!

付録のルーツは新聞

 付録のルーツは雑誌ではなく明治時代の新聞だといいます。1879(明治12)年1月、「東京日日新聞(現毎日新聞)」が「亜細亜全州略図」と「中央亜細亜諸州分境図」という地図を新年付録として発行したことをきっかけに、各紙が趣向を凝らした新年付録を発行。これが、現在も元日発行の新聞が正月企画や別刷りで賑やかな紙面になっていることのゆえんだそうです。

進化する付録に新たな制約も

 戦前・戦後の子どもたちをワクワクさせたのは組み立て付録でしょう。紙を素材にした紙模型を初めて付録にしたのは、1914(大正3)年創刊の月刊少年誌『少年倶楽部』(現講談社)で、1931(昭和6)年に、ドイツの旅客用大型飛行艇ドルニエDoXの紙模型を添付しました。
 付録といえば別冊のマンガや絵図が主流の時代に、同誌の編集長が百貨店のおもちゃ売り場で発見した飛行艇をヒントに発案。依頼を受けた設計士は、実物の図面が手元になかったにもかかわらず、忠実に機体を再現したといいます。
 特別な工具を使わなくても組み立てられる紙模型は評判を呼んで38万部を完売し、同誌はその後も名古屋城、日光陽明門、万里の長城、エンパイア・ステート・ビルディングなど、さまざまな紙模型を考案しました。

 戦後、物資の供給が改善されると各誌の付録競争は再びエスカレート。1952(昭和27)年頃からは月刊少年誌『少年』(光文社)が紙以外の素材も用いて幻灯機、カメラ、タイプライターなどを付録にして好評を得る一方、同業者や玩具メーカー、流通を担っていた国鉄(JRの前身)などからはフェアではないと批判を受けました。
 高速道路がまだ整備されていなかった当時、全国各地の雑誌の流通を支えていたのは鉄道です。特別運賃で輸送していたのにサイズや重さが増えては本末転倒とあって、当時の運輸省と主要雑誌の出版社、大手取次店の三者は協定を締結し、付録に使える材料や大きさなどが細かく定められたといいます。

日記や家計簿もダメでした

 流通の問題は付録の歴史につきものでした。子ども向け雑誌に付録が付き始めた大正時代も、付録のタイトルは雑誌のタイトルより小さくなければならず、しっかりと製本された別冊付録や、ノンブル(ページ数)を付けたものは禁止されていたそうです。
 昭和時代には第三種郵便物として通過する程度のサイズ、紙以外の素材や本誌以上の厚紙を使用していないものなどが認められた一方、辞典、日記、家計簿などは規制されていたとか。こうした規制のもと、各誌はあの手この手で知恵を絞っていたんですね。

実用付録で子どもの心を掴む

 週刊マンガ誌の台頭で少年誌の付録競争に陰りが見えてきた高度成長期、豪華な付録で子どもたちを引きつけていたのが『1〜6年の科学』(学研/1963〈昭和38〉年創刊)です。
 2022(令和4)年に『学研の科学』として12年ぶりに復刊した同誌は、雑誌と付録をセットにした学年誌で、最盛期には670万部という発行部数を記録しました。付録に付いてきたのは、生き物の解剖器セット、現像液や印画紙付きのカメラ、モールス信号機、電気配線ロボットなど、プラスチックや金属を用いた実用的な実験器具。となると前述の規制に引っかかってしまいそうですが、同誌は小学校などで直接販売していたため、雑誌の流通ルールに従う必要がなかったのです。

 最盛期には255万部と少女マンガ誌として史上最多の発行部数を記録した『りぼん』(集英社)も、女の子向けの月刊マンガ誌として付録文化をリードしてきた存在です。1955(昭和30)年の創刊当初から下敷きやカレンダーなどを付録に付け、1960年代には民間から皇室に入った美智子妃(現・上皇后)へのレターセット、バレンタインデー文化が浸透し始めた1970年代にはバレンタイングッズなど、その時々の少女たちの興味や関心に応える付録を考案してきました。
 近年はトートバッグ、ネイルセット、ヘアアクセサリーのように普段使いできる雑貨が付録になり、原稿用紙やペン、スクリーントーンに編集部への直通封筒まで付いた「まんが家セット」も定番化しています。

規制緩和で多様化の時代に

 1997(平成9)年をピークに国内の雑誌の市場規模が縮小を始めると、業界内では売れ行き回復のため付録の基準緩和を求める声が出始め、2001(平成13)年には日本雑誌協会が定める付録の自主基準「雑誌作成上の留意事項」が大幅に改定され、サイズや重量など従来の細かい規定が削除されました。
 規制の緩和によって付録の自由度が飛躍的に高まり、バッグ、マウスパッド、CD-ROMなどさまざまな付録が登場。なかでも宝島社はブランドとコラボレーションしたグッズで新たな読者を引き付け、2010年にはブランドとのトートバッグやパスケースを付録にした女性月刊ファッション誌『sweet』の発行部数が100万部を突破しました。こうした付録戦略は業界に大きな影響を与え、他誌も追随。ブランドとのコラボや市販品に引けを取らない実用的な付録を売りにした雑誌が書店の平台を占拠するようになりました。

好奇心を満たし、企業の認知度アップにも貢献

 最近は学年誌のアイデア付録が注目を集める機会も増えています。『小学一年生』といった小学館の学習雑誌のなかでも幼児向けの『幼稚園』は、2010年代後半から回転ずしレーン、ATM、自動販売機、公衆電話など、企業とコラボしたリアルな紙の組み立て付録を添付しています。

 2021(令和3)年5月号では実際の東芝テック製セルフレジをモデルに、商品をスキャンする音や価格を読み上げる音声データ、レシートやマイバッグまでを再現したセルフレジの紙模型を付録に添付しました。リアルなレジごっこができる付録の紹介動画が「Twitter(現X)」で180万回以上再生され、雑誌は即完売。企画のユニークさに加えて企業の認知度を大いにアップさせたとして、日本雑誌広告協会が主催する日本雑誌広告賞のグランプリや各賞を受賞しました。

2021(令和3)年には創設100周年を迎えたGUCCIが国民的キャラクターの「ドラえもん」とコラボレーションを実現し、小学館が発行する女性ファッション誌各誌でコラボ付録を展開して即完売するほど話題になりました。売り上げ向上だけでなく、付録としてコラボする企業やキャラクターの認知度や価値向上にも大きく貢献するメディアとなった雑誌の付録。これからもどんなアイデア付録が登場するのか楽しみですね。

参考文献(順不同)
柿本真代『児童雑誌の誕生』(文学通信)/岡満男『婦人雑誌ジャーナリズム 女性解放の歴史とともに』(現代ジャーナリズム出版会)/串間努『「少年」のふろく』(光文社)/能勢仁『平成出版データブック 『出版年鑑』から読む30年史』(ミネルヴァ書房)  等

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