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日本が世界に誇る和紙
vol.131

今も昔も生活の中に
日本が世界に誇る和紙

ユネスコの無形文化遺産に選ばれた日本の和紙は、今も昔も私たちの暮らしをさまざまなかたちで支えてくれています。中国から伝来した紙作りが日本で独自の発展を遂げ、時代とともに使う人の裾野や用途を広げていった伝統素材の足跡を辿ってみました。

そもそも「和紙」って?

 「和紙」という言葉は、明治時代に西洋から入ってきた「洋紙」と区別するために生まれました。
 木材パルプが原料の洋紙と違って、和紙の原料は楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)といった植物の皮の部分の繊維です。洋紙の原料より繊維が長く、日本特有の「流し漉(ず)き」と呼ばれる技法で繊維同士が絡み合うことで、破れにくい和紙が生まれます。
 いまではパルプが原料の和紙、手漉(す)きではなく機械漉きの和紙、海外産の和紙も流通していますが、2014年にユネスコの無形文化遺産に登録された「和紙 日本の手漉き和紙技術」は、石州半紙(島根県)、本美濃紙(岐阜県)、細川紙(埼玉県)の3種の和紙で、国産の楮を原料に手漉きで作られるのが共通点です。

日本の紙作りの始まり

 紀元前に中国で発明された紙。その紙作りの技術は、古墳時代に渡来人によって日本に伝えられました。
 いつごろから日本で独自の紙作りが始まったのかを明確に示す史料はないものの、『日本書紀』には5世紀初頭に諸国の話題や出来事を中央王権に伝えるために紙が使われていたことを窺わせる記述があり、そのころには渡来人たちによって日本でも紙作りが始まっていたのかもしれません。
 現存する日本最古の紙は、江戸時代に東大寺の正倉院から発見された「正倉院文書」です。もとは奈良時代に地方から都に提出された行政の業務報告書で、当時の紙はとても貴重だったため一定期間を過ぎると東大寺に下げ渡され、文字が書かれていない面を利用して、寺の事業に関する帳簿として使われました。
 公文書として利用される紙の量は膨大で、輸入や渡来人による生産だけで賄うことは難しいため、国を挙げた紙作りが行われていたと考えられます。

手間暇をかけて均質で丈夫な紙に

 古代中国の製紙技術は長い間門外不出で、東方の朝鮮半島や日本には早くから伝えられていたものの、西方のイスラム圏に伝わったのは8世紀半ばごろ、西ヨーロッパに到達したのはさらに遅れて12世紀ごろだといいます。
 当初、日本の紙作りは中国や朝鮮半島からの渡来人が伝えた「溜め漉き」が主でしたが、やがて日本特有の「流し漉き」が発達しました。

溜め漉き

 植物の繊維をよく叩き(叩解=こうかい)、水に入れて紙液を作り、簀桁(すけた)ですくってゆっくり揺り動かしてから、槽の上に置いて水分が落ちるのを待つ。簀の上に湿紙ができたら紗(薄い絹織物)を重ね、湿紙と紗を交互に重ねたのち、1枚ずつはがして天日干しする。1枚ごとに紗を入れるのは、紙をはがれやすくするため。

流し漉き

 叩解した植物繊維とトロロアオイなどが原料の「ネリ」と呼ばれる糊を漉き槽の中でよく混ぜて、簀桁を使って紙を漉く。繊維が絡み合うように簀桁を前後左右に揺り動かし、余水を流し捨てる作業を繰り返したあと、1枚ずつ干し板に貼り付けて天日干しで乾燥させる。溜め漉きより手間暇がかかるものの、均質で丈夫な紙を漉ける。

国の安寧を支え、文字を書く以外の用途にも

 こうした紙作りが広まり始めた奈良時代は、大地震や飢饉、疫病、宮廷の権力争いなど、天下大変の時代。2度目の天皇の座に就いた称徳天皇は国を鎮め護るため、和紙を大量に使う大事業に取り組みました。
 小さな木製の三重塔100万基に「陀羅尼(だらに)」という経文を印刷した和紙を1枚ずつ納め、東大寺をはじめ南都十大寺に10万基ずつ納めるもので、機械での大量生産ができない時代にすべて手作り、6年がかりで作成されました。塔の中に納められた経文が印刷された和紙は、製作年が明確な印刷物としては世界最古のものと認められています。
 平安時代には官営の製紙工場である紙屋院が40カ国以上に広がりました。和歌や漢文、書物など、貴族の間でも和紙が愛用されるようになり、紫式部の『源氏物語』も和紙、そして毛と和紙を交互に巻きつけて作る紙巻筆によって綴られました。
 また、文字を書く以外の用途ーー貴族が生活する寝殿造の障子、襖、屏風などの建具、扇や僧侶が着る紙衣、髪を結び束ねる元結などにも使われ、紙屋院では「反故紙」と呼ばれる不要になった紙を漉き返し、「宿紙」という再生紙がすでに作られていたようです。

和紙の最盛期から洋紙への置き換え

 江戸時代には諸国で和紙産業が栄え、生産量が急増。提灯、和傘、ちり紙のような生活必需品から、浮世絵、瓦版、草双紙、花火玉や鯉のぼりまで、貴重品だった和紙が庶民の生活のあらゆる場面で使われるようになりました。
 ただし、生産量が増えても紙の価値は高く、使用済みの紙は回収して漉き直し、田畑の肥やしになるまで再利用されていたそうです。
 明治時代になると、紙幣や証券、雑誌や新聞、教科書など紙の需要がさらに拡大するものの、手漉きの和紙ではその需要に対応できなくなり、輸入や国内生産が始まった洋紙への置き換えが進みました。当時、全国に約6万8千存在していたという紙漉きの工房は急減し、現在では300足らずといわれています。

戦争と和紙

 和紙は戦争とも深い関わりがあります。古くから高級和紙として重宝されてきた越前和紙は、第一次世界大戦のベルサイユ条約の調印用紙に採用されました。一方で、第二次世界大戦末期、日本軍が米国本土攻撃のために開発した「風船爆弾」に使われたのも手漉きの和紙。直径10メートルほどの気球部分を作るために600枚の和紙が使われ、製造には多くの少年少女が駆り出されました。

新しい和紙製品、伝統技術の活用も

 現代社会のニーズに合わせて、新しい和紙製品も誕生しています。綿より軽く吸湿性や保温性、消臭・抗菌作用に優れた「和紙繊維」に着目したシャツやデニム、ウエディングドレスが作られ、和紙繊維で編まれた靴下が宇宙飛行士とともに宇宙に行ったことも。
 また、かつて日本家屋に和紙が欠かせなかったように、最近は和紙を細かくこより状にして編み込んだ「和紙畳」も登場。従来のい草に比べて耐久性が高く、デザインの自由度も高いそうです。伝統的な手法で作られる和紙も、劣化のしにくさや強度の高さ、厚みを調整すれば透明性も担保できることなどから、国内外の博物館や図書館では古代の紙の文献の保存修復に欠かせないものだといいます。

紙幣にも和紙の技術が

 2024年7月から新しい紙幣が発行されますが、和紙は紙幣とも深い関わりがあります。そもそも福井藩で発行された日本初の藩札や、日本で初めて全国に流通された太政官札に採用されたのは越前和紙。国立印刷局の前身が組織された際には、ベテランの紙漉き職人が技術伝承のために招聘されたそうです。現在の紙幣に必ず入っている「すかし」は、もともと越前和紙に伝わる技法が採用されたもの。また、強い耐久性が求められる紙幣の原料には和紙の三大原料のひとつである三椏が使われています。

もうすぐ卒業式シーズン。近年は和紙づくりが盛んな地域で、子どもたちが漉いた手漉き和紙を卒業証書にする学校もあるようです。かたちは変わっても和紙は私たちの生活の中に息づいています。

参考文献(順不同)
王子製紙編著『紙の知識100』(東京書籍)/朽見行雄『日本史を支えてきた和紙の話』(草思社)/菊地正浩『和紙の里 探訪記ーー全国三百ヵ所を歩く』(草思社)/ニコラス・A・バスベインズ『紙 二千年の歴史』(原書房)/アレクサンダー・モンロー『紙と人との歴史 世界を動かしたメディアの物語』(原書房)  等

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