
現代人の移動にとても大きな影響を与えたエスカレーター。エレベーターのような待ち時間もなく、輸送能力も高い移動手段は駅や空港、大型施設には欠かすことのできない存在です。時代の変化に合わせてさまざまな技術が登場し、エンタメとしても活躍しています。
モーターによって階段状の踏段(ステップ)が駆動し、多くの人を連続的に運ぶことができるエスカレーター。1900年のパリ万博に出展された「踏段式自動階段」がルーツとされていますが、実用化以前の原理的な発想は1850年代のアメリカで誕生していました。
1859年に作家で弁理士のネイサン・エイムズが特許を認められた「回転式階段」は、ベルトに取り付けた階段がローラーによって循環するもので、大型施設では蒸気で、住宅では手動で動かすことまで想定されていたそうです。ただし、階段がそのまま回転してフラットにならず、手すりも固定されているため、実用化されていたら乗り降り時にはヒヤヒヤものだったかも……。
1892年には発明家でエンジニアのジェシー・W・レノが「傾斜エレベーター」の特許を認められました。エスカレーターより早く実用化されていたエレベーターの名を冠したアイデアは、ベルトコンベアをヒントに傾斜したステップを連結したもので、現行のエスカレーターのようにステップの溝(クリート)とくし(コム)を設けて乗客のつま先が巻き込まれるのを防ぎ、異物をすくい取る効果も持たせていました。
全米発明家殿堂によると、1896年にはこのアイデアをもとに高さ7フィート(約2.13メートル)のエスカレーターがニューヨークのコニーアイランドで展示され、2週間で7万5千人が体験したそうです。また、1900年にはマンハッタン高架鉄道にも導入され、100台ほど設置されたうちの最後の1台は、1955年に撤去されるまで半世紀にわたって活躍していたといいます。
普段、何気なく使っている日用品の名称が商標登録されているケースはよくありますが、実はエスカレーターもそのひとつでした。そもそも“Escalator”とはラテン語で階段を意味する“Scala”と、“Elevator”を組み合わせてつくられた言葉。1892年にジョージ・H・ウィラーが考案した、手すりが駆動しステップが平らになる自動階段の特許を譲り受けたチャールズ・D・シーバーガーが、エレベーター製造のオーチス社と開発した「踏段式自動階段」に名付けられた登録商標だったのです。
オーチス社が商標権を失った1950年以降はエスカレーターと呼べるようになりましたが、その間、オーチス社以外のメーカーは電動階段や自動階段などと呼んでいました。『すごいエスカレーター』(田村美葉著/エクスナレッジ刊)によると、スチール製が主流だった欄干をガラスにしたオーチス社の「エスカレーア」や、低コスト化を実現した日立の「エスカレーン」「クリスタレーン」など、さまざまなネーミングもあるそうです。
1914年3月、東京・上野で開催された東京大正博覧会で日本初のエスカレーターがお披露目されました。高さは10m、秒速約30cmで動き、そばが4銭ほどの時代に10銭の乗車賃がかかったそうです。現在のエスカレーターは毎分30~40mで動きますから、のんびりとした乗り物だったことがうかがえますが、当時の人々にとっては最新の移動手段であり、娯楽としても楽しまれたようです。このエスカレーターが試運転された日にちなみ、3月8日は「エスカレーターの日」に制定されています。
1914年には、新築開店した東京・日本橋の三越呉服店にも日本初の常設エスカレーターが導入されました。太平洋戦争ではモーターなどが軍需用に転用され、エスカレーターのほとんどが撤去されたものの、戦後、製造が再開されると欄干部分のデザインを改善、いまではおなじみのライトアップや透明化が進みました。建物の中で重々しい存在だったエスカレーターの日本流アップデートは海外からも注目されたといいます。
1960年代は技術革新も進みました。乗客がいる時だけ運転し、乗客がいなくなると停止する自動運転のエスカレーターが誕生したのは1967年のこと。現在の東京メトロ木場駅で初めて導入され、連続で運転するエスカレーターに比べて3割から7割もの省エネ化を実現したそうです。
駅や空港、大型施設でおなじみの「動く歩道」もこの時期に導入されました。世界的には“Moving Walk”と呼ばれる動く歩道は1950年代にアメリカで誕生し、1959年に東京の国際見本市会場に出展されると、2年後には貨客船の役目を終えて横浜港に係留された氷川丸の見学者通路に導入されました。全国的な普及は1967年、大阪の阪急梅田駅に設置されてから。その利便性が評価され、1970年の大阪万博では動く歩道に乗りながら「50年後の日本」を疑似体験する展示が話題を呼びました。
1985年には、車いす使用者が車いすに乗ったまま利用できるエスカレーターも登場しました。神奈川の横浜市営地下鉄岸根公園駅などで稼働が始まったエスカレーターは、特別なステップと制御システムによって車いすを水平に保つもの。世界的に初めての実用機で、全国で普及するきっかけとなりました。
移動するだけではない、乗ること自体がエンタメになる全国のユニークなエスカレーターをご紹介します。
大阪・梅田のランドマークとして知られる梅田スカイビル。地上40階、高さ173mの2棟のビルが円形の展望台でつながっている構造で、35階までエレベーターで上ると、展望台までは「シースルーエスカレーター」で向かいます。大阪の街並みを望めるシースルーのエスカレータートンネルはSF映画さながらの空間です。
高さ296mの超高層ビル・ランドマークタワー(神奈川・横浜)に併設されたランドマークプラザに鎮座するのが“曲がるエスカレーター”の「スパイラルエスカレーター」です。エスカレーター黎明期かららせん型のエスカレーターは研究され、実際に設置されたケースもあったようですが、安全性の観点から実用化は困難だったそうです。通常のエスカレーターより高価で面積も必要になるため、国内では新設されるどころか撤去が続き、30基ほどを残すのみという報道も。見られるうちにチェックしておきたいエスカレーターのひとつです。
香川県丸亀市の遊園地・ニューレオマワールドに設置されているのが、全長96m、高低差42m、乗車時間は3分14秒という日本一長いエスカレーター「マジックストロー」です。和歌山のホテル浦島にも全長154m、高低差77m、乗車時間は5分45秒の「スペースウォーカー」がありますが、こちらは4台のエスカレーターを乗り継ぐため、厳密には“日本一”とされていないそう。一方、日本一短いエスカレーターが、神奈川のJR川崎駅地下街に設置された「プチカレーター」。高さは約83cmと1mにも満たず、段差はたったの5段。技術的にも限界に近い短さだといいます。ちなみに、世界一長いエスカレーターは香港の「ミッドレベル・エスカレーター」。映画の舞台としても登場するエスカレーターは全長800m、高低差135mで、乗車時間は約23分もかかります。
動く歩道が導入された1960年代に大阪で生まれたのがエスカレーターの「右乗り」文化。左乗りの東京と反対に大阪では右乗りが主流になったきっかけは、「阪急電鉄が急いでいる人のために右側に立つようにアナウンスを始めた」とも「大阪万博の会場でアナウンスされた」ともいわれています。安全性や輸送力向上の観点から両側に立ち止まって乗るように呼びかけられている昨今、そんなエスカレーターの光景も変わっていきそうです。
参考文献(順不同)
後藤茂「エスカレーター技術発展の系統化調査」(『技術の系統化調査報告』第14集、国立科学博物館)/田村美葉『すごいエスカレーター』(エクスナレッジ)/日本エレベーター協会(ホームページ)/全米発明家殿堂(同)/日本経済新聞(同)/産経新聞(同) 等