日本人とビールの蜜月

宴席での「とりあえずビール!」という言葉に代表されるように、ビールはお酒好きな日本人になくてはならないアルコール飲料です。古代から世界で親しまれてきたビールが日本へ渡来してから約300年、日本人の生活にビールはどのように浸透していったのでしょう? ビールと日本人の関係を探ってみました。

ビールはことのほか不味いものだった?

日本人とビールの初めての出会いは、江戸時代のこと。長崎のオランダ東インド会社の商館長が江戸に出向き、将軍に献上品を贈って礼を尽くす江戸参府において、幕府の役人や通詞(通訳者)にビールやワインを振る舞ったという記録が日蘭双方の視点で残されています。
1724年に幕府の役人によって書かれた「阿蘭陀問答」は、日本最古のビールに関する記録です。そこでは、ビールは「殊外悪敷物(ことのほか不味い)」と記されていますが、同年に商館長ヨハネス・テーデンスが書いた「オランダ商館日誌」には、幕府の役人らがビールをすべて飲み干して大変気に入った様子であった、と表現されているんです。
また、1860年に幕府の第1回遣米使節としてアメリカに渡った仙台藩士・玉虫左太夫は、船上で行われたアメリカ初代大統領ワシントンの誕生日記念パーティで初めてビールを飲み、「苦味ナレドモ口ヲ湿(しめ)スニ足ル」と日記に書いています。江戸時代の人にとって、ビールがおいしかったのかどうかの真相は闇の中のようですね……。

百科辞書をきっかけに生まれた日本初のビール

日本で初めてビールを醸造したのは、オランダ商館長だったヘンドリック・ドゥーフです。ドゥーフが長崎・出島で商館長に就任したのは1803年。それから7年後の1810年、ナポレオン戦争で母国オランダがフランスに併合されると、オランダからの物資の供給が途絶えてしまい、ドゥーフはオランダの家庭百科辞書を参考にビール醸造に挑戦します。しかし、苦みを加えて抗菌効果もあるホップを手に入れることができず、日持ちするビールはつくれなかったとか……。一方、日本人で初めてビールを醸造したのは、「化学新書」という訳書の中で、ビールの製法について書き残した幕末の蘭方医・川本幸民といわれています。

「ビール黎明期、一杯売りのビヤガーデンも登場

国内で本格的にビールがつくられるようになるのは明治時代に入ってから。多くの外国人が暮らしていた横浜で1869年に創業したジャパン・ヨコハマ・ブルワリーを皮切りに、さまざまな醸造所が誕生します。特に、1870年にアメリカ国籍のノルウェー人ウィリアム・コープランドが横浜・山手に開いたスプリング・ヴァレー・ブルワリーは、豊かな湧き水を利用したビールが評判を呼び、東京をはじめ、長崎や上海、香港などにも樽詰で送られるほどの人気だったそう。また、1875年には醸造所そばの庭先でジョッキに注いだビールの“一杯売り”を始め、この「スプリング・ヴァレー・ビヤガーデン」を日本で初めてのビヤガーデンとする説もあるんです。
日本人で初めて商業ビールの醸造・販売をスタートしたのは、大阪の渋谷庄三郎とされています。渋谷は1872年に「渋谷(しぶたに)ビール」を発売。アメリカ人醸造技師から技術指導を受け、日本人の手でつくられた本格的なビールは、大阪の川口居留地の外国人に販売されますが、日本人の間にはあまり浸透しなかったようで、1881年に渋谷が亡くなると渋谷ビールも製造を終了してしまいます。

現在も続く一大ブランドが揃い踏み

明治時代は全国で小規模な醸造所が次々と設立され、その数は100を数えたとか! 明治20年代になると、現在も続く大手ビール会社が操業をスタート。1887年には東京で日本麦酒醸造会社が、北海道では北海道庁から払い下げられた醸造場を受け継いで札幌麦酒会社が設立されます(どちらも現在のサッポロビール)。また、1884年に前述のスプリング・ヴァレー・ブルワリーが倒産すると、同地を引き継いだジャパン・ブルワリー・カンパニーが1888年に「キリンビール」を発売(のちに麒麟麦酒株式会社〈キリンビール〉が経営を引き継ぎ)。さらに大阪では1889年、大阪麦酒会社(現在のアサヒビール)が設立されます。
1887年には約3,151キロリットルだったビールの国内総生産量は、10年後の1897年には約4倍の約11,829キロリットルに拡大。1901年に導入された麦酒税法で資金力の乏しい小規模醸造所が廃業していく中、これらのビール会社が一大ブランドとして市場を開拓していったのです。

街の名前に、ビヤホールも手がけたあのビール

1890年に日本麦酒醸造会社から発売され、一時は日本一のビール製造量を誇ったのが「恵比寿ビール」(現在のヱビスビール)です。日本麦酒(1893年に日本麦酒醸造から社名変更)は需要拡大に合わせて、日本初の私鉄だった日本鉄道に要請し、1901年、東京の生産拠点に貨物専用駅「恵比寿停車場」を設けます。これがJR山手線「恵比寿駅」のルーツなんです。また、恵比寿停車場で旅客の取り扱いも始まると周辺の人口も増加し、1928年には「恵比寿通1・2丁目」と、地名にビールの名前が採用されることに!
ちなみに、日本麦酒はビールを手軽に楽しめる「ビヤホール」も発明しました。ビールとともにフルコースの料理が楽しめるビヤレストランはあったものの、東京・銀座で1899年に開業した「恵比寿ビール Beer Hall」は、料理はおつまみで大根のスライスを出す程度と、ビールを徹底して楽しむ店づくりが功を奏し、西洋気分に浸りたい庶民で賑わったといいます。

電気冷蔵庫の普及で庶民の飲み物へ

第二次世界大戦中、ビールの製造量は減少の一途を辿りましたが、戦後まもない1949年には各地でビヤホールが復活。昭和30年代には電気冷蔵庫の普及に合わせて、家庭でもビールが飲まれるようになり、製造量も一気に増加します。昭和40年代のお中元やお歳暮はビールが一番人気で、企業には現物が、家庭にはビール券が配られることが多かったそう。
こうして日本人に広く親しまれるようになったビールの世界が大きく変化したのは1987年のこと。日本初の辛口生ビールとして発売された「アサヒスーパードライ」が空前のヒットとなり、一時は国内シェアの約6割を占めていたキリンを抑えて国内シェアNo.1となります。一方のキリンは1990年、濾過の過程で出る一番搾りの麦汁だけを使用した「一番搾り」を発売して対抗。また、サントリーは麦芽使用率を65%に抑えた発泡酒「ホップス」を発売、サッポロも原材料に麦芽を使わない第3のビール「ドラフトワン」を発売するなど、各社それぞれで市場を開拓していきました。
2009年には、飲酒運転が社会問題になったことなどを受け、アルコールをまったく含まないビールテイストのノンアルコールビールが登場。飲酒運転対策だけでなく、リフレッシュしたいときにも気軽に飲めるドリンクとして、ビール類(ビール、発泡酒、第3のビール)の出荷量の減少が続く中、着実に市場を拡大しているんです。

沖縄から世界へ広がる60周年のオリオンビール

沖縄生まれのオリオンビールは、今年で創立60周年。沖縄返還前の1959年に全島で一斉に発売され、1972年の沖縄日本復帰後は大手4社と競争を続けながら、ファンを増やしてきました。いまではアメリカや韓国、ベトナム、ブラジルなど16の国・地域に輸出され、特に沖縄に近い台湾への輸出は全輸出量の半分を占めるほど。現地のコンビニにも並び、海外のオリオン党も増加しているようです。


明治時代から国内で醸造が始まり、いまや海外へも広がる日本のビール。次ページでは、ビールのお供にぴったりのあのおつまみとの関係や、日本独自の“風習”のルーツもご紹介します。

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