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マンションのはじまり
vol.96

住まいのルーツはここにあり?
団地のトリビア

ここからは、もうひとつの集合住宅である団地のトリビアをご紹介します。私たちの暮らしに欠かせないさまざまなものは、実は団地が発祥だった?

倍率数十倍! 団地は憧れの住まい

 団地が登場したのは、第二次世界大戦の終戦後、都市部を中心にした深刻な住宅不足の解消のためでした。さまざまな法律が整備され、公共団体によるRC造りの集合住宅が数多く登場します。
 特に、1955年に設立された日本住宅公団(現UR都市機構)が手がける公団住宅=団地は、一定以上の年収が必要で、家賃は公務員の初任給の半分近く。それでも数十倍という倍率になるほどの申し込みが殺到し、当時はまだ珍しかった洋風の生活様式への憧れから「団地族」という言葉も登場しました。

“畳”だけじゃない?  団地発祥のあれこれ

 京間(本間)や江戸間といった畳より小さめの「団地間」があるように、団地の普及とともに生まれ、私たちの暮らしのなかに浸透したものは意外と多いんです。ここで代表的なものをピックアップしてみました。

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“1坪”が日本の住まいを変えた

 私たちが当たり前のように使う「DK(ダイニングキッチン)」。これも団地なくしては生まれなかったもの。その誕生のきっかけは、1坪のアドバンテージにあるようです。
 日本住宅公団の発足当時、公団に与えられた規模は賃貸が43㎡(13坪)、分譲で40㎡(12坪)でした。一方、公団とライバルだった公営住宅の賃貸は六畳と四畳半に台所とトイレが標準で、広さの平均は39.7㎡(12坪)と1坪小さかったそう。公団はこの1坪のアドバンテージを生かして、台所を広くすることで食事スペースを確保し、「ダイニング(食事室)+キッチン(台所)」という空間を生み出したのです。
 戦後も多くの家庭では、和室でちゃぶ台を囲んで食事をし、そこに布団を敷いて寝る「食寝一体」が一般的でしたが、DKの登場で戦前から日本が目指していた「食寝分離(寝室とは別に食事室を設けること)」という目標が達成され、その後の日本の住まいの主流となっていくのです。
 ちなみに、DKがあってもダイニングテーブルが普及していなかったため、公団はオリジナルのテーブルを備え付け、入居者は椅子を購入して食事をしていたそう。

さまざまな暮らしのあり方を提案してきたマンションや団地。特に団地は、近年は老朽化に伴って解体される物件もある一方で、緑の多さやゆとりのある敷地での子育てのしやすさなどから、その魅力が再発見されているようです。新しい世代や価値観が加わることで、これからはどんな暮らしが生まれるのでしょう?

参考文献(順不同)
日本マンション学会編『マンション学事典』(民事法研究会)/高層住宅史研究会『マンション60年史―同潤会アパートから超高層へ』(住宅新報社)/『僕たちの大好きな団地』(洋泉社) 等

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