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マンションのはじまり
vol.96

超高級から市民目線まで
マンションのはじまり

日本のマンションのはじまりは1950年代中頃のこと。分譲、高級、そして超高層マンションなど、私たちの住まいはどのように移り変わっていったのでしょう? 今月の「Trace」はマンション、そして団地のあれこれを辿ってみます。

初めてのマンション、その住人は?

 今日のマンションのはしりとされているのが、1955年に完成した7階建て・75戸の代官山アパートです。大卒の公務員の初任給が8700円という時代に、30㎡のシングルルームが月36000円、最大となる70㎡の部屋が72000円という高額な家賃で、終戦からしばらく経って増えてきた軍関係以外の在日外国人が入居者の約8割を占め、残りは日本人の自由業や貿易業者、経営者らが入居していたといいます。
 代官山アパートの翌年には、個人向け分譲マンションの第1号とされる5階建て・28戸の四谷コーポラスも誕生しました。そして、1964年の東京オリンピックを前に到来したのが、都内を中心にした第1次マンションブーム。後述する公共団体による“団地”が数多く供給されるなか、民間のマンション建設も盛んになり、1955年から1960年のあいだに建設された分譲・賃貸マンションが27棟・1248戸だったのに対し、1961年から東京オリンピックが開催された1964年のあいだで118棟・3957戸と急増!
 もっとも、当時はまだまだマンションは高嶺の花で、入居者は経営者や会社重役、医者や弁護士、芸能人やスポーツ選手が主でした。

億ション第1号はお値段も記録的

 最初のブームを象徴するマンションとして挙げられるのが、今でも東京・原宿駅前に君臨するコープオリンピア。1965年に誕生した11階建てのマンションは、延べ床面積が26000㎡と当時最大級のマンモスマンションで、価格は3000万円から1億円と、“億ション”の第1号としても知られています。
 コープオリンピアのように、高級感を演出するために横文字を使った名前が集合住宅全般に使われるのもこの頃からのようです。コープ(協力/英語)、ハイツ(高台の家/英語)、ハイム(家/ドイツ語)、メゾン(家/フランス語)、アビタシオン(住居/フランス語)、レジデンス(大邸宅/英語)、ビラ(郊外の邸宅/英語)など、使われる言語も表現内容もまちまちで、シャンボール(フランス王フランソワ1世の城にちなむフランス語)のような豪奢なネーミングも登場しました。
 ちなみに、コープオリンピアの最高級の一戸を購入したのは女優の京マチ子だったとか。現在の物価でいえば10億円は下らないかも?

市民目線のマンション登場

 マンション大衆化のはしりとされるのが、東京・杉並区の西荻窪にあった西荻フラワーマンションです。オリンピック後の不況により、マンション業界も停滞期に入ったなか、同マンションは45㎡前後の2DKで355〜375万円という分譲価格で、全24戸はたちまち完売したそう。
 1970年に住宅金融公庫(当時)の融資制度が始まるまで、3年間の住宅ローン付きマンションが「家賃で買えるレジデンス」というキャッチフレーズで人気を呼ぶなど、この頃を境に“職住近接”を求める一般の人が分譲住宅としてマンションに目を向けるようになり、都心近郊に市民目線のマンションが浸透、市場も大きく広がったといいます。

おなじみのシステムもこの頃に

タワマンのルーツは意外と古い?

 街中で圧倒的な存在感を放つタワーマンション(超高層マンション)。1997年の建築基準法の改正によって一気に普及が進みましたが、そのルーツは1971年、東京・港区に誕生した19階建て・高さ52mの三田綱町パークマンションといわれています。
 同マンションのあとにも、21階建て・高さ66mの与野ハウス(埼玉・さいたま市)やサンシティ(東京・板橋区)などタワー型マンションの先駆けといわれるマンションが現れ、1980年代初頭から各地で超高層マンションの建設が活発になります。建築技術の進歩や前述の建築基準法の改正によってタワーマンションが建てやすくなると、総戸数が1000戸を超える大規模タワマンも出現。2009年に誕生した大阪のThe Kitahamaが、54階建て・高さ209mと現在、日本でもっとも高い分譲マンションとされています。

タワマンといえば、現在竣工を待っているのが虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー。完成すれば54階建て・高さ215mと日本一の高さの分譲マンションとなりそうです。さて、マンションと並んで、団地も私たちにとって身近な住まいではないでしょうか。次ページではそんな団地のトリビアをご紹介します。

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