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居酒屋で一杯!
vol.94

宿屋も兼ねていた?
世界の居酒屋トリビア

居酒屋を「お酒や料理を楽しめる場所」と考えれば、人間の手によってお酒がつくられるようになるのとほぼ同じ頃に居酒屋も誕生していたかもしれませんが、世界最古の居酒屋の記録とされるのはバビロニア王国のハンムラビ法典。まずは、そこに記された酔いも醒めてしまいそうな条文からご紹介していきます。

もしビールの値段をごまかしたら……

 居酒屋が文献に初めて登場したのは、紀元前18世紀頃、バビロニア王国の第6代王ハンムラビが制定したハンムラビ法典といわれています。
 「目には目を、歯には歯を」の条文で知られるこの法典には、居酒屋の女主人はビールの支払いを銀ではなく大麦で受け取ること、居酒屋で謀議が行われたら通報すること、尼僧は居酒屋に入ってはいけないことなど、居酒屋にまつわる条文がいくつか記されているのだそう。
 では、仮にこうした規則を破ってしまったらどうなるのか。法典には、女主人がビールの販売価格をごまかしたら溺死刑、謀議が行われているのに通報しなければ死刑、尼僧が居酒屋に入ったら火あぶりの刑などと、おちおちとお酒を飲んではいられないような過激な罰則が並んでいたとか……。

居酒屋は宿屋や〇〇を兼ねていた?

 古代ギリシア・ローマ時代は道路が整備されて人々の往来が激しくなり、街道沿いでは旅人や商人をもてなす居酒屋が繁盛したといいます。ただし、日本の居酒屋と違って、ヨーロッパでは近現代になってホテルやレストランが定着するまでの長い間、居酒屋の多くは宿屋を兼ねていて、娼家としての機能も持っていたのだそう。
 ローマ帝国が崩壊すると、それまで栄えていた街道沿いの宿屋兼居酒屋は衰退するものの、中世中期には旅人や巡礼者のためのインやタバンと呼ばれる宿屋兼居酒屋やホスピスが再び現れるようになりました。特に、ビールを醸造していた修道院は“修道院居酒屋”として繁盛しますが、酔っ払いのお坊さんが増えてしまい、教会は頭を悩ませていたとも……。
 16世紀前後には貨幣経済の浸透や宗教改革によって、教会や修道院のものだった居酒屋は民衆のものへと移り、商業的にも発展。飲食や宿泊ができる場所としてだけでなく、娯楽の場、商談の場、集会や冠婚葬祭、さらには裁判や金貸しまで行われたりと、多様な機能を果たすようになりました。

エール・ビールの国でジンが大流行

 上流階級にとって、お酒は自宅で楽しむものだった時代が長く続いたものの、フランス革命によって封建制が崩れると、そうした人々も外で飲食をするようになり、カフェやレストラン、ホテルが誕生します。
 そんな時代にイギリスで生まれたのがパブ。古くからインやタバン、エールハウスと呼ばれる宿屋兼居酒屋が存在していましたが、18世紀頃からパブリックハウスと呼ばれるコミュニティスペースが居酒屋の役割も果たすようになり、19世紀に入るとパブと略称で呼ばれるようになったそう。
 “公共の場所”という意味からも、黎明期のパブリックハウスではカードゲームやダンスパーティを行ったり、裁判を開いたり、お祭りの日には芸人を呼んで演芸を見せることもあったとか。
 また、パブではエールやビールが飲まれていた一方、19世紀にはジンを主力メニューにする居酒屋、ジン・パレスも普及しました。
 もともとジンは17世紀後半にオランダから持ち込まれ、18世紀の画家、ウィリアム・ホガースの版画「ジン・レイン(横丁)」には、ジンを飲ませるお店が連なる路地で酔っ払う人々の姿が描かれています。安く早く酔える蒸留酒にありつけるジン・パレスは労働者で大繁盛し、一説にはロンドンのジン・パレス14軒で1週間の客数が26万人を超えていたなんて話もあるんです!

禁酒はされてもたくましく!

 アメリカでは移民が母国の居酒屋文化を持ち寄り、イギリスの植民地時代はタバン、フランスからの入植が始まるとサロンと呼ばれる居酒屋が工業地帯を中心に栄え、労働者の憩いの場となっていました。
 ただし、20世紀に入るとその様相は一変。1920年1月16日に発効した禁酒法によって、飲用目的でのアルコールの醸造や販売は違法となってしまったのです。
 とはいえ、飲酒そのものは禁止されることはなく、お酒好きの人々はスピークイージーやジン・ジョイントと呼ばれたもぐりの居酒屋に足を運び、お酒を楽しんでいたそう。お金持ちやクラブのオーナーは禁酒法が発効する前の年から酒を買い溜め、なかには14年分ものお酒を確保しているところもあったとか……。
 カナダ産のウイスキーやカリブ海でつくられたラム酒が密売人によって運び込まれ、マフィアは操業停止中の醸造所を買い取って密造酒をつくるなど、禁酒法のもとでももぐり居酒屋は繁盛し、禁酒法が廃止される前年の1932年には全国で約22万軒も存在していたそう。
 また、お酒好きにとって禁酒法はやっかいなものであった一方、バーテンダーたちがお酒の見た目をソフトドリンクに似せたり、密造酒の粗悪な味を調整したりするためにさまざまな工夫を懲らしたことが、のちのカクテル文化の発展に大いに役立ったといいます。

いかがでしたか。ヨーロッパを中心に早足で居酒屋の起源を見てきましたが、居酒屋が庶民にとって単にお酒を飲む場所ではなかったという点は、大なり小なり日本の居酒屋にも通じるところがあるといえそうですね。

参考文献(順不同)
鈴木晋一『たべもの史話』(平凡社)/橋本健二『居酒屋の戦後史』(祥伝社)/同『居酒屋ほろ酔い考現学』(同)/海野弘『酒場の文化史』(講談社)/下田淳『居酒屋の世界史』(講談社)/常盤新平『酒場の時代 1920年代のアメリカ風俗』(文藝春秋) 等

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