
お酒を愛する人にとって居酒屋は癒やしの場。最近はリモートワークの影響で、家で晩酌を楽しむなんて人が増えたかもしれませんが、仕事帰りの居酒屋でのひとときは何物にも代え難いものがありますよね。そんな居酒屋はいつ頃生まれたのでしょう?
日本では奈良時代以前から売酒屋(うりざけや)と呼ばれるお店が存在し、現代の居酒屋のように、人々は店先でお酒を飲んでいただろうと考えられています。
居酒屋について具体的な記述が登場するのは室町時代。狂言「河原太郎」には、河原の市に手作りの酒を持ってきて店を開き、顔見知りの客に酒を出そうとする夫婦の姿が描かれています。
江戸時代には都市をはじめ、街道沿いの宿場町などで居酒屋が広がり、大坂では大坂城や神社のまわりにむしろを敷き、熱燗や田楽を出す“傘の下”と呼ばれる居酒屋もあったそう。
江戸の町で暮らすさまざまな職人たちを活写した浮世絵師、鍬形蕙斎の絵巻「職人尽絵詞」には、神田で居酒屋も営む酒問屋の様子が描かれていて、「居酒屋はいさかいと語音が似ているからか、しばしばいさかいが起きる……」と描写されています。
第二次世界大戦後、焼け野原となった日本各地に出現したヤミ市には、転売された配給品の酒や米軍から横流しされた酒、そして密造酒を出す仮設の屋台やバラックづくりの露店が並び、復員兵や労働者にとって数少ない癒やしとなっていました。
密造酒といえば、「カストリ」や「バクダン」といった名前を聞いたことがある人は多いでしょう。カストリは粗悪な芋や麦のかすを使った酒や、くず米を発酵させたどぶろくの上澄みを蒸留した焼酎の一種。一方のバクダンは、燃料用アルコールを水で薄めたものでしたが、ときには工業用で猛毒のメチルアルコールが入っていることもあり、運が悪いと失明、果ては命を落としてしまうこともあったため、米兵は居酒屋への立ち入りを禁じられたほどだったとか……。
東京・新宿の思い出横丁や吉祥寺のハモニカ横丁、千円でベロベロに酔える“せんべろ”の町で知られる赤羽や立石の飲み屋街はヤミ市として発展したエリアで、今でも当時の風情を感じることができます。
ちなみに、焼酎や日本酒をオーダーすると、グラスを受け皿に載せて、受け皿に酒がこぼれるまでたっぷり注いでくれることがありますが、このサービスが生まれたのもヤミ市が発祥では?といわれているんです。
居酒屋に行けば必ずオーダーするメニューがみなさんにもあると思いますが、なかでも定番メニューのルーツをご紹介します。
やきとりといえばおつまみの定番ですが、「やきとり」と看板や赤提灯に書かれていても、いざ店内のメニューを見ると、タン、ハツ、シロ、コブクロなど豚や牛のもつ焼きが並んでいた、なんてことはよくありますよね。
あらかじめ「やきとん」「もつ焼き」と謳っているお店もありますが、豚や牛の臓物までなぜやきとりと呼ばれるようになったのか……。そのきっかけは、鶏肉がまだ高価だった明治時代中頃あたりから、豚や牛の臓物を安く仕入れて、鳥料理の高級なイメージを使ってもつ焼きを売るお店がお金のない若者や労働者から人気を集めたことにあるようです。
戦後はもつが統制品ではなかったことや、誰でも参入しやすい業態だったことなどから、やきとりをメインにした居酒屋が増え、昭和30年頃には白いスーツに蝶ネクタイを締めたボーイがやきとりを焼き、楽団の演奏をバックにホステスが接客する“やきとりキャバレー”なるものも生まれたそう。
さっぱりした喉ごしで、さまざまなおつまみと合わせやすい酎ハイ。そのルーツは、ウイスキーを炭酸水で割るハイボールにあるのだとか。
もともとハイボールは19世紀の終わりにアメリカで定着したという説があり、日本でも昭和初期にはすでに親しまれていましたが、当時の庶民にとってウイスキーは高嶺の花。戦前は焼酎も炭酸割りではなくウメやブドウ味のシロップを垂らして飲むことがポピュラーで、戦後、安価な甲類焼酎が普及すると、米兵が飲んでいたハイボールを参考にして、ウイスキーの代わりに甲類焼酎を炭酸水で割ったものが飲まれるようになり、「焼酎ハイボール」「ボール」といった呼び名が「酎ハイ」として定着したそう。
酎ハイは東京の下町が発祥。その背景には、その頃の下町にはサイダーやラムネなどの炭酸飲料や、焼酎に混ぜるウメやブドウ味のシロップをつくるメーカーがひしめいていたことも影響しているようです。
コスパを重視する人にとって、チェーンの居酒屋はありがたい存在。今でこそ当たり前のチェーン居酒屋ですが、その原型をつくったのは、系列店を含めると首都圏を中心に100店舗以上展開している「天狗」(テンアライド)といわれています。
1969年、天狗は1号店を池袋にオープンすると、居酒屋に欠かせなかった板前の制度を廃止して自前の料理人を育成し、お店の効率化を図るためにセントラルキッチンを全面的に導入します。さらに、店内を洋風のインテリアで飾ったり、和洋中のおつまみにビールや日本酒、焼酎からワインやウイスキーまで幅広いお酒を取り揃えることで、男性中心だった居酒屋に若者や女性客が足を運ぶきっかけをつくったそう。
近年は趣向を凝らした立ち飲み屋を見かけることが多くなりました。立ち飲み屋の歴史は古く、室町時代の京都には下請酒屋と呼ばれる立ち飲み屋があったようです。
16世紀末には、江戸・神田の鎌倉河岸にあった豊島屋が荷揚げの労働者や町人相手に酒を出し、毎日何千人もの客が田楽をつまみにお酒を楽しんでいたといいます。東京最古の酒舗といわれ、明治時代になってからは清酒の製造も始めた同店。関東大震災で店舗が崩壊してからは居酒屋としての商いは中断していましたが、2020年夏、約100年ぶりに創業の地で酒屋兼立ち飲み屋を再びオープンしたばかりです。
最近は戦後のヤミ市をイメージしたような昭和レトロな“横丁”形式の居酒屋が増え、外食チェーンの参入も見られるようです。さて、日本以外の国々ではどんなふうに居酒屋が発展したのでしょう。詳しくは次ページを!