数十万円という高額な運賃でも予約が取れないクルーズトレインが注目を集めています。鉄道各社が豪華寝台列車の運行に乗り出している今、時代を駆け抜ける寝台列車について今回の「Trace」は注目してみました。まずは日本初の寝台列車のお話から!

初めて国内で鉄道が開通したのは1872年。その28年後の1900年に、初の寝台車が山陽鉄道の大阪〜三田尻(現在の防府)間の急行列車に連結され、日本の寝台列車の歴史がスタートします。山陽鉄道は食堂車を連結したり、客室乗務員を採用したりと、新しいサービスを他社に先駆けて採り入れていた鉄道会社で、寝台車も自社の工場で製造。真新しい車内に併設された食堂には、石炭レンジのキッチンや調理台も備えられていました。
この寝台車の登場以前にも、新橋〜神戸間を約20時間で結ぶ夜行列車が運行されていたものの、乗客が寝られるようなスペースはなく、座席は木製のベンチ。長時間の乗車は身体に堪えるため、乗客の多くは途中下車をして旅館に宿泊しながら長旅をしていたといいます。

寝台車は導入からしばらく経っても、社会的地位の高い人が利用する一等、二等車に限られていました。一般庶民でも利用できるような三等車に初めて寝台車が導入されるのは1931年のこと。国鉄の路線が全国に広がり、三等寝台車のニーズが高まってからでした。ただ、東京〜神戸間の急行列車に連結された三等寝台車の寝台は3段式で、カーテンをはじめ、シーツや毛布、枕もなく、ただ横になれるだけの仕様だったとか。
寝台車の旅が快適になるのは、戦後、ビジネスや旅行目的で長距離を移動する乗客が増加し、1956年に寝台特急「あさかぜ」が東京〜博多間で運行を始めてから。輸送力の強化に力を入れていた国鉄が研究を重ねて開発したこの車両は、寝台の数が増えただけではなく、毛布やシーツ、枕なども完備。ベッドの幅は52cm、天地は70cmと窮屈に思えますが、連日満席になるほどの盛況ぶりで、この成功により東京〜長崎間の「さちかぜ」、東京〜西鹿児島間の「はやぶさ」なども登場します。
1958年に製造された寝台特急用の20系客車で、寝台列車の旅はさらに快適になります。この車両には、当時は宿泊施設でも一流ホテルにしか導入されていなかった冷房設備が完備されていたほか、各個室には洗面台や電気カミソリ用のコンセントも設置されていて居住性抜群。“動くホテル”と呼ばれたほどでした。また、外観の塗装がダークブルーになり、これが後のブームとなる「ブルートレイン」という愛称につながるんです。

寝台の利用客が増加し、20系客車はさまざまな夜行列車に投入されます。1960年代後半には、昼夜兼用の特急電車、581・583系が開発されました。一度見たら忘れられない特徴的なデザインは、寝台車としての利用を念頭に車体の寸法を限界まで拡大したもので、昼は座席車、夜は寝台車として利用できる世界初の車両でした。
こうして寝台列車運用の効率化や輸送力強化が進められ、1970年代は寝台列車の全盛期となり、1973年には年間の利用者が1998万人に達したそう。しかし、黄金時代もつかの間。航空機や高速道路の発達で、寝台列車をメインに利用していたビジネス客が離れ、レジャーなどで利用する一般の乗客もマイカーや高速バスでの移動にシフトしてしまうのです。
1987年のJR発足以降、JR各社は寝台列車離れを食い止めるため、レジャー客を中心に“豪華な列車の旅”を提供する、新しいコンセプトの寝台列車を次々に投入します。新時代の寝台列車を牽引した車両の数々をここでおさらいしてみましょう。

1988年の青函トンネル開通に合わせて投入された上野〜札幌間の寝台特急「北斗星」は、トイレやシャワールームを完備した個室や食堂車などを連結。天井にイルミネーションを映し出す装置を備えた車両があり、食堂車では完全予約制のフランス料理のコースを提供するなど、航空機とは違った、時間をかける旅の楽しさを演出しました。

1989年に運行開始した、大阪〜札幌間を約22時間でつなぐ「トワイライトエクスプレス」は、深い緑色の車体に鮮やかな黄色のラインが印象的な寝台特急。最高級の個室は2人用のスイートで、ソファやダブルベッドを完備。大阪の一流ホテルシェフが料理を監修し、フリースペースとなる車両には車内からの眺望に配慮して、大型のガラスを使った斬新なデザインでした。

北斗星やトワイライトエクスプレスを超える豪華寝台特急を目指して投入された上野〜札幌間の「カシオペア」は、専用に設計されたステンレス製のE26系という車両で編成され、すべての客室が2人用のA個室寝台(3人利用可能の客室もあり)という贅沢さ。上階がソファルーム、下階がベッドルームというホテル顔負けのメゾネットタイプのスイートルームがあり、豪華なフランス料理が楽しめる食堂車も展望重視の構造で、究極の豪華寝台列車とまで言われたほどでした。

バブル崩壊や格安航空会社などの参入で、一時期の豪華寝台列車人気も下火になりましたが、2013年にJR九州が運行を始め、その後の寝台列車のスタイルを大きく変えたのが「ななつ星in九州」です。
ななつ星は、目的地まで移動する従来の寝台列車と異なり、観光地巡りや名旅館での宿泊をセットにした「クルーズトレイン」と呼ばれる超豪華寝台列車。九州北部を回る1泊2日コースは2名1室最低21万円(1人あたり)から、九州をほぼ一周する3泊4日コースの最高額は2名1室75万円(同)という破格の料金にかかわらず予約が殺到し、チケット抽選倍率が30倍以上になることもあったほど。
また、7両編成の車両もケタ違いの豪華さで、内装には人間国宝の遺作となった有田焼の洗面鉢をはじめ、伝統工芸「組子」など日本の匠の技がちりばめられ、夜にはバーになるラウンジスペースではピアノの生演奏も。建造費は約30億円で、一説には寝台列車・サンライズ瀬戸・出雲の倍近く、新幹線の建造費に匹敵するとか……。
裕福なシニア層を中心に支持を得たななつ星の成功に続けとばかりに、現在は「TRAIN SUITE 四季島」(JR東日本)、「トワイライトエクスプレス瑞風」(JR西日本)など、鉄道各社が超豪華寝台列車を運行中。日本の寝台列車はさらに進化を遂げています。
※ななつ星in九州の料金は開業当時のデータ
超豪華なクルーズトレインが注目されがちですが、観光にもビジネスにも使える従来型の寝台列車・サンライズ瀬戸・出雲が現在も毎日定期運行中です。次ページでも寝台列車にまつわるエピソードをご紹介します。