トップページ > 特集 vol.16 花火の軌跡

この時期になると各地で行われる花火大会。まさに、夏の風物詩とも言える花火ですが、果たしていつから、何の目的ではじまったのでしょうか。今回は私たちを魅了してやまない花火の歴史に迫ります!

ヨーロッパからやってきた花火 日本初は、あの徳川家康!?

一般的に花火のルーツは、古代中国発祥の「のろし」と呼ばれる、煙で意思疎通をはかるものでした。そこから火薬の発達とともに花火が誕生します。
鑑賞用の花火がはじまったのは14世紀のイタリア・フィレンツェといわれています。火薬の伝来とともに、花火が行われるようになりました。世界初の花火は、キリスト教の祝祭で火を吐く人形のようなものだったそうです。その後、17世紀にはポーランドやスウェーデン、デンマークなどに花火学校が設立され、花火技師が養成されました。
日本に鑑賞用の花火がやってきたのは戦国時代のこと。鉄砲や火薬とともに入ってきました。天正17年(1589年)には伊達政宗が観たという記録があり、慶長18年(1613年)にはイギリス国王ジェームス一世が徳川家康に花火を観せたという記録も残っています。当時の花火は筒から火の粉が吹き出す、いたってシンプルなものだったようです。

鎮魂から始まった花火大会両国川開き大会

享保17年(1732年)、全国的な飢饉とコレラなどの疫病により、多数の死者が出ました。そこで、8代目将軍・徳川吉宗は慰霊と悪疫退散を願い、川開きの日に水神祭を行い、これに合わせて町方でも川施餓鬼を行いました。翌年には前年の行事にちなんで川開きの日に6代目鍵屋弥兵衛により、20発前後の花火が打ち上げられたそうです。これを「両国川開き花火」と呼び、後の「隅田川花火大会」のルーツとなります。また、当時、大名たちの間では隅田川に舟を出す遊びが流行っていました。夏になると、その遊びの一環として花火舟が出るようになったのです。花火ブームは庶民にまで飛び火。花火職人や花火売りが町に出るようになりました。しかし、そのせいで町では火災が多発。これを重くみた幕府は「花火禁止令」を出したほどでした。

「た〜まや〜」、「か〜ぎや〜」は業者の屋号だった

花火を観る時に叫ぶ「た〜まや〜」、「か〜ぎや〜」というかけ声があります。これは「両国川開き花火」に花火を打ち上げた業者の屋号だということをご存知でしょうか? 1659年創業の「鍵屋」は日本橋横山町の花火師・鍵屋六代目弥兵衛が設立。一時は江戸の花火大会を独占するほどの人気ぶりでした。一方、「玉屋」は「鍵屋」に勤めていた清七という番頭が独立した花火屋です。次第に川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当するようになり、二大花火師の競演が行われるようになりました。大会では両方の花火が上がり、いいと思った方の名前を叫びました。
どちらかというと、「た〜まや〜」の方がメジャーなのは、花火の美しさに定評があったことと、玉屋は火事を起こし一代で廃業したことから、玉屋を哀れんだことによるといわれています。

海外から原料が輸入され花火は鮮やかさを競うように

明治時代になると、諸外国からマッチの原料となる塩素酸カリウムやストロンチウム、アルミニウムなどが輸入されるようになります。これによって、花火の表現は大きく進歩を遂げるのです。これまでは炭火色(橙色)の強弱でしか表現できなかった花火に色彩が採り入れられるようになりました。その後、大正時代になると、より多くの薬剤が導入され、花火技術は大いに進歩していきます。そして、多重芯割物(八重芯菊花火)の製法を完成させるなど、数々の功績を残し、「花火の神様」と呼ばれた青木儀作や、滋賀の廣岡幸太郎などの名花火師が誕生し、名作花火を次々に発表していきました。昭和に入り、戦争がはじまると花火の製造は中止に。その後、昭和21年の米国独立記念日の花火打ち上げ後、次第に復活していきます。

美を優先する日本の花火迫力を優先する外国の花火

ヨーロッパにはじまり、日本でも進化を遂げてきた花火。日本と世界での最も大きな違いは花火の構造です。双方ともに筒に入れて打ち上げるのは一緒ですが、花火球の形が異なります。日本は丸で、海外は円筒型。これは打ち上がった際の形状にも関係しており、日本の花火は丸く開きますが、海外では八方に広がります。“花火”や、“菊”、“牡丹”という名称からも分かるように、日本の花火は「花」を現しています。花を咲かせるというイメージで作られたため、丸くなったと考えられます。
日本が打ち上げられた際の形状の美しさを重視するのに対し、海外では迫力や音などのエンターテイメント性を重視する傾向があります。そういった背景もあり、日本の花火は色や形状において独自の進化を遂げてきたのです。水色やピンク、レモンイエローなどの中間色の花火は日本発で、八方に星を飛ばす「万華鏡」や星の先が分裂する「クロセット」なども日本から生まれたもの。海外ではイベント演出の一環であった花火ですが、日本では「○○花火大会」と言われるように、昔から花火そのものが主役でした。一発一発を大切にする心や日本人の繊細な気質が花火を丸くさせ、そして美しくし進化していった要因だったと考えられます。

美を優先する日本の花火迫力を優先する外国の花火

現在、ほとんどの花火大会にコンピュータ制御が導入されています。特に、音楽に合わせて花火を打ち上げるショーには欠かせない技術になっています。最初に導入されたのは1994年とのことで、1/30単位で花火を打ち上げることができるそうです。これは確かに人の手では困難。音楽のこの箇所でこの花火が打ち上がるようにと緻密にプログラムされているそうです。現在、最も最先端なコンピュータ制御花火を観ることができるのは、秋田県・大曲の花火全国花火競技大会と土浦全国花火競技大会だそう。華麗なテクニックを観に行ってみてはいかがでしょう。


夏の楽しみである花火大会は、もともと鎮魂の意を込めた行事だったんですね。また、まん丸な美しい花火は日本特有の物というのも意外な事実でした。先人達の絶え間ない苦労があってこそ、花火の繁栄があるんですね。歴史を知ると花火の見方も変わるかもしれません。

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