名字の謎

名字のトリビア

幅広い角度から名字を観察すると、地域によって特性の違いがあったり、ルーツに違いがあったりと、その成り立ちは非常にユニークです。ここでは、名字にまつわるトリビアをご紹介します。


東は佐藤・鈴木が西は山本・田中が多い

名字は日本の東西で異なる傾向があります。東では佐藤・鈴木という日本全体で見ても1位、2位の名字が1位、2位です。佐藤や斎藤のように下に「藤」が付く名字が多いのが東の特徴。また、鈴木は全国に分布している名字ですが、特に関東より北に多く見られます。一方、西は地形ルーツの名字の代表である山本・田中が1位、2位。このように東西で傾向が異なるのは、名字が最も多く作られた鎌倉時代から室町時代にかけての人口が関係しています。当時の人口分布は西高東低。東は人口が少ないため、地名由来の名字で事足りていました。一方、西は人口が多いため、地名由来では家と家との判別が出来づらくなり、田中、山本のような地形由来の名字が増えていったのです。

主な都市の名字


東西、名字の境界線は新潟・富山、三重県!

東と西で名字の特徴が分かれるとすると、境界線はどこになるのでしょう。日本海側はズバリ、新潟(東)と富山(西)でキッパリと分けられます。実際に名字を見てみても新潟は1位から「佐藤・渡辺・小林」、富山は「山本・林・吉田」となっています。理由は明白で、この間に「親不知・子不知」という断崖絶壁があり、人の往来がほとんどなかったため。人の移動がなければ名字も移動しないと言うことです。一方、太平洋側は名字の変化もなだらかです。かろうじて言えば、三重県辺りが中間地点。太平洋側は人が頻繁に往来していたことがわかります。


薩摩人が独自の名字にさせた!? 沖縄の名字の謎

各都道府県の名字ランキングを見ると、沖縄だけかなり独特なことが分かります。「比嘉」、「金城」など、沖縄の名字の多くは地名由来のものです。ここまで独自の進化を遂げたのは、沖縄が江戸時代以前まで薩摩以外との交流を行っておらず、他の地域との交流がほとんどなかったため。また、江戸時代に琉球を支配していた薩摩藩があえて、琉球人には別の名字を名乗らせたという経緯もあります。例えば、「船越」を「冨名腰」に改名させることもあったようです。


小粥さんが生まれたのはお粥が美味しかったから

江戸時代、大名、旗本、各藩の武士や公家などの階級の人が庶民に名字を与えることもありました。なかでも、徳川家康はもとの名字にあたる「松平」を多くの人に与えていました。家康が庶民に姓を授けたエピソードとして有名なのが1573年の三方ヶ原の戦いでのこと。武田信玄に敗北した徳川家康は、帰り際に休息のため、ある家に立ち寄りました。そこで振る舞われたお粥が非常に美味しかったため、「小粥(こがゆ)」という姓を褒美として与えたそうです。「小粥」さんは、現在でも静岡県浜松市近辺に見られる名字で、家紋はお椀にお箸の形という珍しいもの。不思議な名字には必ず成り立ちのエピソードがあるんですね。


新潟さん、埼玉さんもいる!都道府県由来の名字の謎

山口さんや石川さん、宮城さんなど、県名が名字になっている人は珍しくありません。実は、これらの由来は県ではなく、もっと小さな町や村、大字、小字が由来になっています。例えば、山口県の山口村であれば、山口村を名字にしているということ。現在、47都道府県中、「北海道」、「京都*」、「愛媛」、「沖縄」を除く43都府県と同じ名字が確認されています。現存しない4道府県については、明治以降に地名ができたため、名字として存在していないのです。

*京都という言葉は平安時代にあったとされていますが、明治以前は行政単位としての京都という言葉はありませんでした。地名として「京都」が使われるようになったのは明治以降になります。


全国には、その土地ならではの独特な名字がたくさんあります。それは地形や土地に根ざした職業であったりと、土地の独自性を表すもの。名字のルーツを探ることは日本人の歩みを探ることにも繋がるんですね。ぜひ、これを機に自分の名字を調べてみてはいかがでしょう。ご先祖様の意外な事実が隠されているかもしれません。

森岡浩

取材協力

森岡浩

1961年高知県生まれ。早稲田大学在学中から独学で姓氏研究を行い、文献に捉われない実証的な実験を続け、唯一無二の姓氏研究家として多数メディアで活躍中。著書に「名字の地図」「なんでもわかる日本人の名字」など多数。野球史研究家としても活躍中。

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