刑事ドラマといえば、テレビドラマの花形のひとつ。銃撃戦やカーチェイスに力を入れたアクションものから人情味溢れるいぶし銀のドラマまで、時代とともに移り変わりながらも根強い人気を誇っています。今回の「Trace」では、そんな日本の刑事ドラマの数々を振り返ってみました。

日本における本格的な刑事ドラマの第一号は、1957年に日本テレビ系で放送が始まった「ダイヤル110番」といわれています。同時期に放送されていたアメリカの刑事ドラマ「ドラグネット」をヒントにしたもので、「ドラグネット」がロサンゼルス市警の捜査記録に基づいて制作されたように、「ダイヤル110番」も全国の警察署から集めた事件の資料をもとにしたドキュメンタリータッチの刑事ドラマでした。1964年に放送終了するまで、最高視聴率は61.7%を記録したとか!
「ダイヤル110番」は、「七人の孫」や「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」などのヒット作を世に送り出し、直木賞も受賞した向田邦子の放送作家としてのデビュー作でもあるんです。映画雑誌『映画ストーリー』の記者をする傍ら同ドラマのシナリオを書くようになり、2009年には、向田が執筆・共同執筆した4作の台本が発見されて話題にもなりました。

派手な銃撃戦やカーチェイスなどのアクション、よれよれのコートにハンチング帽を被った人情に厚いベテラン刑事など、刑事ドラマのお約束といえる演出の数々は、「ダイヤル110番」をはじめ、1950〜60年代の刑事ドラマ黎明期にその原点が見られるようです。当時の代表的なドラマをご紹介しましょう。
1961年にNET(現在のテレビ朝日)系でスタートし、16年も続いた長寿刑事ドラマ。1959年に警視庁が刑事部捜査第一課に「初動捜査班」を設置したことがきっかけで生まれたもので、刑事の機動力を重視し、銃撃戦やカーチェイスなども展開されるストーリーが人気を博しました。ただし、荒唐無稽なフィクションに終始するのではなく、「ダイヤル110番」同様、警視庁からの資料をもとに脚本を制作し、捜査の過程を丹念に描く本格的な刑事ドラマだったそう。テレビを原案に同名の映画も製作されました。
「特別機動捜査隊」と同じ1961年にTBS系でスタート。派手なアクションよりも刑事の人間性に重きを置き、社会派刑事ドラマの草分けとも呼ばれています。後年、多くの人気ドラマを生み出すことになる気鋭の脚本家やディレクターが事件の背後にある社会問題にも迫り、若者を中心に大ヒットしたそう。ちなみに、よれよれのコートにハンチング帽姿の刑事が登場するのもこのドラマからといわれています

刑事ドラマの金字塔といえば、1972年に日本テレビ系で放送が始まった「太陽にほえろ!」でしょう。初回から20%の視聴率を記録し、パート2も含め15年にわたって放送された同ドラマは、刑事それぞれのキャラクターや心情を前面に出した内容で、どちらかといえば事件が主役だったそれまでの刑事ドラマの流れを変えたといわれるほど。
特にドラマの代名詞となったのが、「マカロニ」「ジーパン」「テキサス」「ボン」「スコッチ」などと、新人刑事に先輩がつけるニックネームです。これによって視聴者に登場人物への親近感を持たせる一方、マンネリ感をなくしてドラマにバリエーションをつけるため、新人刑事を起用しては殉職させ、次の新人に交代するという手法を取りました。放送終了までに殉職した刑事は11名……! ちなみに最初の殉職者は、初代新人刑事で「マカロニ」のニックネームで愛された早見淳役の萩原健一。「もうやることがない。いっそ殺して」とショーケン自ら希望したのだとか。
2代目新人刑事のジーパンこと柴田純役の松田優作が、自ら助けた男に撃たれて「なんじゃ、こりゃあ!」と叫ぶ殉職シーンは、いまでもTVでものまねのネタにされていますよね。ドラマを見たことがない世代でも、知らず知らずその世界に触れてしまう影響力の大きさは、「太陽にほえろ!」を伝説たらしめている要因のひとつ。現在も放送中のアニメ「名探偵コナン」の音楽は、ドラマをリスペクトする原作者・青山剛昌やスタッフの懇願により、「太陽にほえろ!」の音楽を担当した大野克夫が手がけています。

2週にわたる初回放送では、本物の装甲車が銀座や国会議事堂周辺を走るという荒唐無稽のストーリーをお茶の間に届け、視聴者の度肝を抜いた「西部警察」(1979年テレビ朝日系で放送開始)。毎週のように繰り広げられるド派手な銃撃戦やカーチェイス、爆破など映画顔負けのスケール感で、「西部警察」は刑事ドラマの枠を超え、“ヒーローもの”と呼べるような支持を集めました。
特筆すべきは日産自動車の全面協力により、スカイラインやフェアレディZといったスポーツカーやサファリ4WDをベースにした“特別機動車両”が、石原軍団の俳優とともに欠かせない存在だったこと。また、“東京都西部”という所轄を飛び越えて全国縦断ロケを敢行し、静岡駅前にヘリコプターを着陸させたり(浜名湖では遊覧船を爆破)、広島では市電を爆破したり、博多でも漁船を爆破炎上させたりと、過激なアクションに挑戦し続けます。1984年に同シリーズが終了するまで、封鎖した道路は4万カ所以上、壊した車両の台数は約4680台、壊した家屋や建物は約320軒、飛ばしたヘリコプターは約600機、使用された火薬の量は約4.8トン、使用されたガソリンは約12000ℓ、そして始末書の枚数は45枚にも上ったとか……!
1980年代も後半になると、世の中はトレンディドラマ一色になりますが、実はそのブームを牽引したのも刑事ドラマなのだそう。1988年にフジテレビ系の“月9”で始まった「君の瞳をタイホする!」は、陣内孝則、三上博史、柳葉敏郎、浅野ゆう子、工藤静香、三田寛子ら旬の若手俳優を起用し、署内恋愛やコンパシーンを描くなど、従来の刑事ドラマとは一線を画す青春恋愛コメディ路線のストーリーで若者を中心に大ヒットしました。
一方、コメディタッチながらスタイリッシュな演出で高視聴率を記録していたのが、1986年に日本テレビ系で放送が開始された「あぶない刑事」。横浜を舞台に、舘ひろしと柴田恭兵のコンビが送る“バディ(相棒)もの”は放送を重ねる度に注目を集め、二人が着用するDCブランドに関する問い合わせがテレビ局やメーカーに殺到するほどだったとか。主要キャストの浅野温子も憧れの女性として人気に火がつき、「君の瞳をタイホする!」に登場していたヒロイン役の浅野ゆう子とともに“W浅野”として一時代を築いていきます。
実際の事件資料をもとにリアルなテイストでスタートした刑事ドラマも、時代とともに変化を遂げていったんですね。次ページでも近年の刑事ドラマの変遷、そして刑事ドラマの演出の真偽にも迫ります。