
オイルマネー、ガスマネーを背景に近代化が進められた中東の国カタール。近年はさまざまな国際会議のホストを行い、中東における記念すべき最初のFIFAワールドカップ開催国となるなど、国の存在を国際社会に積極的にアピールしています。
カタールといえば、40代以上の人は「ドーハの悲劇」を思い起こす方も多いでしょう。1993年、首都ドーハのアルアリ・スタジアムで開催されたサッカーFIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選。本大会への初出場をかけてイラクとの最終戦に臨んだ日本代表が、試合終了直前のロスタイムで同点ゴールを決められて本大会出場を逃した、日本サッカー史に残る一戦です。約30年前の出来事で一躍知られるようになった中東の一国、実は古くから日本と関わりがありました。
カタールと日本のつながりは20世紀初頭にさかのぼります。現在は豊富な地下資源が国家を支えているカタールですが、18世紀後半から19世紀前半にかけて、主な収入源となっていたのは真珠でした。カタールを取り囲むペルシャ湾は世界有数の天然真珠の産地。しかし、のちに「世界のミキモト」として認知されるミキモト創業者の御木本幸吉が、1905年に世界で初めて真円真珠の養殖に成功すると、安価な養殖真珠が世界で広がり、天然真珠産業は衰退してしまいます。
真珠産業をはるかに超える財源を国にもたらしたのが地下資源です。1939年に油田が、1971年に世界最大級のガス田が発見されて資源大国への道筋を得ました。日本企業も開発に加わり、特にカタールで初めての液化天然ガス(LNG)事業は、日本の中部電力が一貫して支えてきました。
こうした両国関係もあり、東日本大震災でカタールはいち早くLNGやLPG(液化石油ガス)を日本へ提供。復興の動きが本格化してからも1億ドルに上る資金提供を原資に、教育・健康・水産業・起業の4分野の復興プロジェクトを支援する「カタール フレンド基金」を通じて被災地を支えてくれた恩人でもあるんです。
2019年5月に開通した「ドーハメトロ」は、FIFAワールドカップ開催に合わせてつくられたカタール初の地下鉄です。三菱重工業、三菱商事、日立製作所、近畿車輌、Thales(フランス)の5社連合で開発が進められ、すべての計画路線が完成すると総延長300km以上、100駅以上に達する大規模プロジェクト。全線で自動運転が行われている現代的な地下鉄は、女性や子どものための車両「ファミリークラス」や、一人がけの豪華な座席が並び通常運賃の数倍かかる「ゴールドクラス」も用意され、公共交通機関の乏しかったカタールで国民の生活の利便性を向上させるとともに、交通渋滞の解消にもつながると期待されています。
カタールはアラビア半島からペルシャ湾の方向に北へ突き出している半島部に位置します。公用語はアラビア語、イスラム教を国教として、地域を治める部族の長やその家族が国を治める首長制の独立国家です。もともと半島には紀元前3000年頃からの遺跡が存在し、真珠の産地として知られていました。
現在のカタールの首長家であるサーニー家は、19世紀半ばにカタールとバーレーン一帯を支配していたハリファ家に代わって勢力を拡大し、1868年に英国と協定を結んで半島の支配権を確立。その後、オスマン・トルコの支配を受けますが、1916年に英国の支配下に入り、1968年、英国がスエズ以東から軍事撤退を行う旨宣言したことにより、1971年9月3日、カタールは独立しました。
独立後は政権交代が繰り返されますが、1995年、ハマド皇太子が新首長に就任すると、天然ガス開発を積極的に推し進めるとともに、自由化、民主化を推進。1999年には女性に投票権を認め、教育やスポーツの振興、保健・医療の充実にも努めました。その後、2013年にハマド首長の4男のタミーム皇太子が新首長に即位。現在は天然資源の枯渇を視野に入れた産業の育成が図られています。
カタールの国旗はイギリスからの独立以前、1868年のカタール・英国間の協定締結の際に誕生しました。当時はデザインがはっきりしておらず、細かな変更が加えられて、1971年の独立の際、現行の国旗が採用されたそうです。
白は平和を、えび茶色はカタールが経験してきた戦争で流された血を表したもの。えび茶色部分はもともと赤色で、色が変わった理由は「バーレーンの旗と区別するために変更された」「太陽の日差しで色褪せた色が正式に採用された」など諸説あります。9つのギザギザ模様は、イギリスと和解した9番目の湾岸首長国であることを示したもの。旗の縦横比が11:28と、世界一細長い国旗でもあるんです。
人口は約280万人。人口比率はカタール人が1割ほどで、ほかはインド、ネパール、パキスタン、フィリピン、バングラデシュ人らが占めています。これは、労働力を南アジアや東南アジアからの出稼ぎ労働者に依存しているため。エネルギー資源の恩恵は一部の国民に集中し、外国人労働者の過酷な生活・労働環境が問題視されてもいます。
国土面積は秋田県(1万1640㎢)とほぼ同じ。国土の大部分は平坦な砂漠で、耕地に適した土地はわずか。食糧の多くは隣国のサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)からの輸入に依存していましたが、2017年6月から3年半続いたカタール断交(カタールがテロ組織を支援しているという理由で、サウジアラビアをはじめ中東諸国が国交を断交。2021年1月に国交を回復させることで合意)をきっかけに、食糧自給率を上げる取り組みを強めています。
典型的な砂漠気候。夏は高温多湿で最高気温が50℃を上回ることも。一方、冬の平均気温は20℃前後と温暖です。年間降水量は100mmに満たず、水道水は海水を淡水化したものが使われています。
一人あたりのGDP(国内総生産)は約6万2千ドル(2021年/IMF推計)と世界トップレベル。国民の医療費や教育費は無償で、社会保障も充実しています。
アラブ系最大のニュースメディアとして“中東のCNN”とも称される衛星テレビ局アルジャジーラは、1996年、カタールの首都ドーハを拠点に政府などの出資で設立されました。9.11事件やアメリカのアフガニスタン攻撃などの報道をきっかけに世界中の注目を集め、現在は世界に70以上の報道拠点を展開。アルジャジーラ(Al-Jazeera)とはアラビア語で「半島」を意味します。
ナショナル・フラッグ・キャリアのカタール航空は、“航空界のオスカー”と称されるスカイトラックス社の「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に7度も選ばれた世界屈指のエアライン。本拠地としているカタール唯一の国際空港、ハマド国際空港も、同社の「ワールド・エアポート・アワード」を2年連続で受賞した世界有数のハブ空港です。
かつては観光資源に乏しく「世界一退屈な国」とささやかれていたカタールですが、もともと歴史的建造物や雄大な自然など観光資源には恵まれた土地。首都ドーハの新市街には独創的なビルやホテルも建ち並び、ドバイに並ぶ一大リゾート地となるように国を挙げたリゾート開発にも力を入れています。
空港からほど近いスーク・ワキーフは、ドーハの一大観光スポット。スークとは「市場」のことで、スーク・ワキーフは昔ながらの雰囲気を残しながら近年リニューアルされ、民族衣装、シルク製品、絨毯、香水、アラビックスイーツ、調理器具やおもちゃなどの日用品、金などの宝飾品を扱うお店も並んでいます。カタール人男性のステータスシンボルでもあるハヤブサを販売するエリアもあり、1羽の値段は数千万円に上ることもあるそうです。シーシャ(水タバコ)を吸いながら談笑する人々の姿も中東らしさを感じさせます。
ザ・パールはドーハ市街地の北側、ペルシャ湾の湾岸部に造成された巨大な人工島です。かつて真珠の採取が行われていたエリアで、住宅エリアや公園、学校をはじめ、高級ショッピングモールやホテル、レストラン、娯楽施設などが集結しています。
カタール初の世界遺産が、2013年に登録されたアル=ズバラの遺跡です。ドーハから北へ自動車で約2時間、もともと真珠などの取り引きで栄えた街で、沿岸警備の基地として建設された城塞が残っています。
砂漠の国家らしいラクダレース。最大時速60kmにもなるラクダで争われるもので、かつては小さな子どもが騎手を務めていましたが、競技中の大怪我や人身売買などの問題から、今では子どもの騎手を禁じる法律が設けられ、人間に代わってロボットを採用。人間が遠隔地からジョイスティックを使ってロボット騎手とラクダを操るレースは、10月から2月まで毎週開催されるほどの人気だそうです。
カタール唯一の国際空港であるハマド国際空港では、スイス人のウルス・フィッシャーによる巨大な熊のオブジェ「ランプベア」をはじめ、アメリカ人のKAWSやトム・オッターネスの作品など、世界の著名アーティストの作品を常設展示。空港内で刺激的なアート体験ができます。
世界一退屈な国から、世界でもっとも裕福な国の一つとなり、国際社会での存在感も増しているカタール。開幕を間近に控える世界的なスポーツの祭典は、日本ともつながりの深いこの小さな大国を深く知る機会になりそうです。