熱狂! ラグビー

サッカーW杯や五輪とともに、世界三大スポーツイベントと称されるラグビーW杯がいよいよ日本で初開催! ということで、今回の「Trace」ではラグビーの歴史を紐解いていきたいと思います。一人の少年がルールを破って生まれたと語り継がれるこの競技ですが、そこにはある不思議が……?

サッカーのルールを破った……わけではない!?

まずはラグビーの発祥にまつわるエピソードから。ラグビーは1823年、イングランドのラグビー校でサッカーの試合中に、エリス少年がルールを無視してボールを抱えたままゴールを目指して走ったことから生まれた……という話を聞いたことがある人は多いと思います。ラグビーW杯の優勝国・地域に贈られる優勝杯も「ウェブ・エリス・カップ」と呼ばれていますし、エリス少年のこの話がラグビーのルーツと一般的にはされているものの、厳密に言えば“サッカーのルールを破ったから生まれた”というわけではないようです……。
というのも、エリス少年が熱中していたサッカーは正確には「フットボール」。1863年にフットボール・アソシエーション(FA/サッカー協会)が設立されて共通したルールが整備され、サッカーという呼称が使われる前のもので、現代の私たちがイメージするサッカー、フットボールとは異なるものなんです。

エリス少年が破ったのはラグビー校のルール

地域のお祭りで楽しまれていたフットボールがゲームとして各地の学校で行われるようになった19世紀、各学校では独自のルールがつくられました。「相手をつまずかせる、スネを蹴る、体当たりすることは正当」などと、今のサッカーのイメージとはかけ離れたルールで争われることもあり、エリス少年が破ったルールもラグビー校独自のものだったそう。
当時のルールでは、相手が蹴ってきたボールを手で掴むことは許されていて、ボールは地面に置くか蹴り返す、もしくはボールを持って後方へ走ることはOK。いずれにしてもボールを持ったまま“前進”することは禁止されていたといいます。前述のFAではこうした荒々しい行為を禁止することで現在のサッカーにつながるルールを整備していきますが、これとは異なるルールでフットボールを行おうと、ラグビー校をはじめとする学校やクラブが新たにラグビー・フットボール・ユニオン(RFU)を結成し、現在のラグビーにつながっていくのです。

学生の“だらしなさ”がきっかけでした?

日本でラグビーが始まったのは1899年のこと。冬の寒い時期に取り組めるスポーツがなかった当時、学生が麻雀やビリヤードばかりに興じていることを嘆いた慶應義塾大学の語学講師、E・B・クラークが、ケンブリッジ大学在学中に覚えたラグビーを学友の田中銀之助の協力を得て、塾生たちに教えたことがきっかけとされています。その後、1910年に旧制第三高等学校(現在の京都大学)、1918年に早稲田大学でラグビー部が創部されるまで、慶應の塾生たちは横浜の在留外国人向けのスポーツクラブ、横浜カントリー・アスレチック・クラブと交流して腕を磨いたそう。
関東でラグビーが盛んになるのは1920年代に入ってから。1921年に東京帝国大学(現在の東京大学)、1922年に明治大学、1923年に立教大学と法政大学でラグビー部が創部されました。ただし、当時はひと足早く創部された慶應の一強時代。明治、大正時代は無敗記録をつくっていた同チームを打倒することが、最大の関心事だったといいます。

学生ラグビー花盛り!

日本では大学や高校の学生ラグビーが主流となり、1980〜90年代前半には大学ラグビーが最高潮を迎えます。若者向け雑誌が「ラグビー観戦がナウい!」と特集を組み、1982年の早明戦では有料の入場者数が66,999人と、国立競技場始まって以来の大入り記録を樹立したほどだったとか。
また、社会人ラグビーも1978〜1984年度は新日鐵釜石、1988〜1994年度は神戸製鋼が日本選手権7連覇を果たすなど盛り上がりを見せ、2003年には日本代表の強化や国際競争力を高めるために、国内最高峰のリーグとなるジャパンラグビートップリーグがスタートします。リーグの設立は海外のトッププレイヤーやコーチ陣の日本のラグビー界への参入を盛んにし、日本人選手が“世界のレベル”を体感できる機会を増やせたことが、のちの2015年のW杯・イングランド大会で優勝候補の南アフリカ代表に逆転勝ちという歴史的勝利にもつながっていくんですね。

ラグビーを愛する人が団結してつくった聖地

日本を代表するラグビー場といえば、東の秩父宮ラグビー場と、西の花園ラグビー場ですが、どちらも日本の皇室と密接な関係があることをご存じの方は多いかもしれません。
秩父宮ラグビー場が誕生したのは戦後のこと。戦前、ラグビーの試合を行っていた神宮競技場がアメリカ軍に接収されたことで、1947年、東京大空襲で焼失した女子学習院の跡地が東京ラグビー場として生まれ変わりました。資金も物資も何もかもが限られている時代、各大学のラグビー部OBは身の回りのものを売って建設資金に回し、ラグビー場の再建に尽力したのだそう。また、建設工事中には「スポーツの宮様」として親しまれ、日本ラグビー協会名誉総裁も務めていた秩父宮殿下が病身でありながら現場を訪れ、工事関係者に「ラグビー協会は貧乏だからよろしく」と頭を下げたというエピソードも。ラグビーを愛する人がラグビーのために築き上げた “聖地”は、1953年には薨去(こうきょ)した秩父宮殿下を偲んで「秩父宮ラグビー場」と名称変更され、現在に至るんです。
日本初のラグビー専用競技場として1929年に設立された花園ラグビー場にも秩父宮殿下との深い関係が。1928年、秩父宮殿下が奈良県の橿原神宮を参拝し、大軌電車(現在の近畿日本鉄道)に乗車した際、沿線に空き地が多いことに気付き、当時盛んになってきたラグビー専用のスタジアムを造ったら乗客も増えるのでは?と進言したことが建設に着手するきっかけとなったそう。

浴室は改修させません!

さて、ラグビーといえば、試合の終わりを「ノーサイド」と表現しますよね。芝生の上でぶつかり合っても、試合終了となれば敵味方の区別なく互いの健闘を讃え合うラグビーを象徴するこの言葉からも、さまざまなエピソードが生まれています。
例えば、1964年の東京五輪を控えていたときのこと。サッカーの予選会場として前述の秩父宮ラグビー場をサッカー関係者が視察した際には、両チームの選手たちが一緒に入れるほどの大きな浴槽について「味方と敵が一緒の風呂に入るのはもってのほか!」と、サッカー関係者から改修を求められてしまったそう。ただし、終わったばかりの試合を話題にしながら、敵味方関係なく汗を流すのがラグビーの精神、秩父宮の関係者は浴槽の改修は許さなかったといいます。
また、選手だけでなく観客にもノーサイドの精神が根付いているのがこのスポーツの魅力のひとつ。ラグビー場にはサッカーや野球につきものの“チーム別の応援席”はなく、それぞれのチームを応援する観客同士が交じって客席から声援を送り、試合後は観客同士でも健闘を讃え合うことが文化なんです。

打ち上げでも徹底しています!

試合終了後に選手や関係者を集めて行われるアフターマッチファンクションにも、ラグビーならではの精神が根付いています。特に伝統的な試合のアフターマッチファンクションでは、チームで揃いのブレザーにネクタイを着用し、関係者が一堂に会して飲食しながら試合の感想を語り親交を深め合うこの場では、ビールなど飲み物が入っているグラスを右手で持つと、周りから「バッファロー」と言われて一気飲みをしなければならないという世界のラグビー界共通の文化があるのだとか。相手と握手をする際にグラスを持って冷えた手で握手をするのは失礼という思いやりから生まれたもので、牛のひづめのように手が冷たくなるから「バッファロー」と呼ばれるようになったといいます。


試合に関わるあらゆる場面で、紳士的な精神が息づくラグビー。次ページではW杯にまつわるトリビアをご紹介します。本日(9/20)いよいよ始まるW杯ですが、この大会が始まったのは意外にも最近のことだったってご存じでした……?

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