知らなかった日本の受験

1月のセンター試験を皮切りに到来する大学受験シーズン。今回の「Trace」では、大学を中心に多くの人が人生の中で一度は経験する「受験」についての特集です。予備校、参考書、偏差値、入試方式……と、受験にまつわるモノゴトの秘密とは?

「遊学」と呼ばれていた受験

そもそも「試験」が始まったのは、6世紀末の中国です。家柄や身分に関係なく、個々の能力を計る方法として中国の官僚任用試験制度「科挙」が誕生。日本にも平安時代に官僚の試験制度として導入されますが、強力な身分制度の影響で社会的に定着することはなく、江戸時代の寺子屋や藩校にも試験はなかったのだそう。
日本で本格的に試験制度が広まるのは明治維新以降のこと。新しい教育制度が確立され、高等教育機関で入学試験が行われるようになると、入試や学校情報を掲載する雑誌に「遊学」や「遊学者」という言葉が登場します。いまでは一般的な「受験」や「受験生」という言葉が頻繁に使われ始めるのは明治30年代に入ってから。地方出身者が故郷を離れ、学校が集まる東京に文字通り「遊学」することの問題から、進学者が増大し、試験をどうやって突破するかに関心が移ったことが、その背景にあるといわれています。

中学校を中退して予備校で勉強?

明治10年代前後にはすでに存在していた予備校。しかし、その教育内容は現在と大きく異なっていました。現在の感覚では、予備校は“入学試験の準備機関”ですが、中等教育機関がまだ発達していなかった明治期の予備校は、受験指導を行うと同時に、進学希望者の学力を補充する教育機関でもありました。そのため修業年限を3年近く、予科として1年程度の課程を設けるところもあり、地方出身者は地元の中学校を中退して、予備校で勉強に励むことが珍しくなかったとか。
明治30年代から40年代になると、東京を中心に予備校の設立ラッシュが始まります。現在の中央大学をはじめとする私立専門学校(現在の私立大学)が母体の予備校や、受験指導に特化した予備校も現れ、2000(平成12)年まで存続していた老舗予備校の研数学館が設立されるのもこの頃のことです。

英文解釈の立役者となった参考書の古典

受験生にとって欠かせないモノといえば「参考書」。学校の先生や予備校講師、先輩、友人のアドバイスを受けながら、書店で自分に合った一冊を探した経験がある人は少なくないでしょう。そんな参考書のなかでも“英語参考書の模範”とされるのが、1903(明治36)年に出版された南日恒太郎氏の『難問分類英文詳解』(ABC出版社)です。
1871(明治4)年に富山県で生まれた南日氏は、富山県尋常中学校卒業後、独学で文部省中等教員検定試験の国語科に合格し、富山中学校の教員となりました。その後、上京して英語を学び、教員検定試験の英語科にも合格すると、正則中学校の教員などを経て学習院教授に就任し、『難問分類英文詳解』を執筆します。同書は構文や公式を中心に英文を解釈する独自の英文解釈法を提示した参考書として、改訂版に当たる『英文解釈法』(有朋堂)や数多くの類書も出版され、日本の英語参考書の成立に大きな影響を与えました。
ちなみに、南日氏の参考書と並ぶ英語参考書の古典といえば、大正元年に出版された山崎貞の『英文解釈研究』(英語研究社)です。こちらは改訂を重ね、大正2年に出版された同氏の『自修英文典』(英語研究社)とともに、いまだに書店に並び続けています!

“でる単”の誕生は1960年代後半

カラフルで図解も多い現在のような参考書が登場するのは、高校・大学進学率が急増し、受験の大衆化が進んだ1960年代後半のこと。1967(昭和42)年、それまでABC順で並べられていた英単語を“大学入試に出る順”に編集した『試験にでる英単語』(青春出版社)が出版されて評判となります。1980年代後半には予備校の人気講師の講義を再現した『実況中継』シリーズ(語学春秋社)もベストセラーとなりました。

教員の熱意から生まれた偏差値

受験を語る上で避けて通れないのが、学力を計るものさしとして、また進学先を見極める手がかりのひとつとして利用されている「偏差値」です。偏差値が世の中に登場したのは1960年代中頃のこと。東京都の公立中学校教員だった桑田昭三氏が、絶対評価や教師の勘を頼りにしていた当時の学力評価方法に疑問を持ったことに始まるといわれています。
桑田氏は、受け持っていた生徒の成績の順位が一番違いで低く、進学係の教員から志望校変更の宣告を受けてしまったことをきっかけに、“進学指導の科学”への挑戦を決意。試行錯誤の中で、相対評価の土台になっていた正規分布のアイデアを応用し、テストの難易度や平均点に左右されない偏差値を生み出したといいます。当初は校内テストで利用されていた偏差値ですが、桑田氏が民間研究機関で偏差値を含むテスト学の研究に従事するようになると、学校の枠を超えた模擬試験にも応用されるようになります。そして、1979(昭和54)年の大学共通第一次学力試験のスタート以降、広く普及していくのです。

受験の大衆化が進む中で生まれた “あの言葉”

明治から昭和初期にかけて、ごく一部のエリートに限られていた受験の世界ですが、戦後、学校体系が6・3・3・4制となり、新制大学が誕生してからは高校・大学進学率が上がり、1960年頃になると受験競争が激化。志望大学合格を目指して受験勉強を続ける「浪人生」という言葉も登場します。
そんな時代に、いまや一般的となった大学関連の“造語”を量産したのが、1932(昭和7)年から続いていた受験雑誌『螢雪時代』(旺文社)です。当時の編集長・代田恭之氏は、1960年代に早大・慶大に加えて、明大、青学大、立教大、中央大、法政大という人気私大の頭文字を取った「WKMARCH(WaKMARCHとも)」を流行させると、女子を中心に人気のあった上智大、青学大、立教大をまとめて呼んだ「JAR(ジャル)パック」、1970年代には「日東専駒」(日大、東洋大、駒澤大、専修大)※、1980年代には「大東亜帝国」(大東文化大、東海大、亜細亜大、帝京大、国士舘大)などの造語も生み出しました。
また、大学群をまとめるだけでなく、受験生の行動や心理を反映させた言葉も登場。例えば1980年代後半に生まれた「受験RENTAL症候群」という造語は、危険回避・安全志向のR(Riskless)、省力のE(Energy-saving)、近場志向のN(Nearby)均質集団同一行動(輪切り出願)のT(Togetherness)、快適志向のA(Amenity)、そして見栄えと立地条件のL(Looks&Location)を組み合わせたもので、没個性、無目的、安全志向……など、挑戦やリスクを回避するようになった受験生の意識を鋭く表現していたといえます。
※成蹊大、成城大、神奈川大を加えた「日東専駒成成神」という言葉もあります


「大学全入時代」の受験事情は次ページで!

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