これからやってくる梅雨の季節。雨が多くなるこの時期は普段にもまして天気予報が気になりますよね。
当たり前のように見ている天気予報ですが、知っているようで実は知らないことって意外と多いのではないでしょうか?
そこで、天気予報の正しい見方や、天気予報の常識について、気象予報士の森田正光さんに教えてもらいました。
1968年から気象協会で働く国民的キャスターの森田正光さん。小さい頃からテレビで観ていたと言う人も多いのではないでしょうか。そんな、天気予報の生き字引的存在とも言える森田さんに天気予報の歴史を振り返ってもらいました。
「気象庁は1959年に、アメリカに次いで2番目に大きい数値予報システムを導入ました。これが、日本の数値予報のはじまりです。ただ、60〜70年代ではまだまだ誤差が大きく、現場の気象予報士の力によるところが大きかったのです。コンピューターが発達する前は、WMO(世界気象機関)が世界からデータを集約して予報していました」
当時と現在のシステムを比べると、計算速度におおよそ数十億倍の差があると言うから驚きです。その頃は、まだ降水確率という概念もまだなかったそうです。
「天気の確率予報が実用化されたのは今から31年前の1982年です。それまでは、降水確率○%という、確率を算出することができませんでした。なので『雨が降りそうです』とか、結構感覚的な予報でしたね。以降、天気の数値予報の精度は、急速に進歩を遂げているんですよ」
現在、日本の天気予報的中率は、アメリカ・ヨーロッパと並びトップレベル。最も天気予報が当たりづらい梅雨の時期で約6割程度、それ以外の季節の的中率は約8割と非常に高い水準を保っているそうです。しかし、なぜ季節によって的中率が変わるのでしょうか?
「天気予報は『晴天率(過去のその日と比較して晴天日になる割合)』をもとに算出されます。そのため、晴れる日が少ない梅雨の時期は確率が落ち、晴天の日が多い冬の確率は上がるんですよ。また、通常は西高東低の気圧配置で、西から東に天気が変わっていくので、そこをポイントに予測をたてます。しかし、梅雨の場合それに加えて、梅雨前線が南北に移動するんです。考慮すべき要素が多くなるので、どうしても梅雨は的中率が低くなるんですよ」
現在のような気象予報士制度が出来たのは、平成6年。それ以前から「お天気キャスター」としてお茶の間で人気を博していた森田さんですが、最初の試験では何と不合格。この珍事は、当時マスコミでも多く取り上げられました。その後、猛勉強の末、2回目の試験で見事合格を果たしました。
気象予報士は、コンピューターが算出するデータや資料から予報を出す『地下室派』と、空を見上げて、経験と感覚で予報を出す『屋上派』に分かれるそうですが、森田さんは絶対的な『地下室派』。ベテラン気象予報士の森田さんが、ご自身の感覚よりもデータを信じるようになったのは、ある出来事がきっかけでした。
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森田さん思い出の天気図
[1990年11月30日の天気図]
天気予報の進化を第一線に立ち、肌で感じてきた森田さん。今後、天気予報はどのように変わっていくのでしょうか? もしかして、近い将来的中率が100%になることもあるのでしょうか?
「僕たち気象予報士は、基本的に同じ情報を元に話をしています。なので、お伝えしている情報自体はどこも変わらないんですね。今後大事になってくるのは、気象予報士がそこからどんな現象を読み取れるか? なんですよ。それぞれの気象予報士がもっと個性を打ち出して、キャラクターを確立していくべきでしょう。そのためには経験も必要ですし、日々の勉強も欠かせません。今、メディアに出ている若手の気象予報士は、年長者の僕から見たら、まだみんな甘ちゃんですね(笑)。また、天気予報の的中率が100%になるのはかなり難しいでしょうね。世の中の天気に関わる、あらゆる事象を考慮すれば不可能ではありませんが、それには莫大な費用がかかります。そういう意味では、現在の天気予報は完成形と言ってもいいでしょうね」
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森田 正光 さん
気象予報士。 株式会社 ウェザーマップ代表取締役。
TBSテレビ「Nスタ」(月~金)、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」などで天気解説者として活躍中。